エーゲ文明はエーゲ海周辺一帯を発祥の地とした、古代ギリシャにおける最古の文明である。エーゲ海地域の新石器時代から青銅器時代への移行はBC3000年頃にあった。これによって始まった青銅文明(BC3000-2000年頃)が「エーゲ文明」ということになる。だが、エーゲ海ばかりかロドス島、キプロス(キュプロス)島、レヴァント地方を含む東地中海にも広がりを見せた最初の海洋文明であった。
エーゲ文明は、大きくは2つに分けることができる。一つは自由で豊かな文化的性格をもったクレタ文明(ミノア文明)、もう一つはミノア文化衰退後に繁栄したミケーネ文明(ヘラス文明)の2つの時代である。エーゲ文明はこの2つを頂点にして最も繁栄し、地中海全域に勢力を拡大していた。
<エーゲ文明―クレタ(ミノア)文明>
クレタ島でのこの青銅器文明は、ミノス王にちなみミノア文明ともいわれている。ただギリシャ神話に登場する、この王の実在性については論がある。
ミノスはゼウスとエウロペの子で、ミノスの兄弟にはラダマンテュスとサルペドンがいる。エウロパはクレタ王アステリオスの妻となり、ミノスはアステリオスの下で成人した。ミノスはヘリオスの娘パシパエを妻とし、パシパエとの間にカトレウス、デウカリオン(トロイア戦争の勇将イドメネウスの父)、アンドロゲオス、アリアドネ、パイドラらの子供をもうけた。父アステリオスが死んだ後、クレタ王の後継をめぐり、ミノスは長子である自分が継ぐべきと主張し、ラダマンテュスは法と秩序を守る立場から、これを支持した。だがサルペドンは納得せず、争いに敗れて小アジアに逃れてリュキア王になった。
クレタ文明=ミノア文化では、BC2000年頃から宮殿文化の時代を迎え、クノッソス、ファイストス、マリア、ザクロの宮殿を中心に非常に繁栄した。出土している絵文字文書や線文字Aの文書が未解読であるため、言語や民族系統は分かっていないが、およそBC18世紀からBC15世紀頃までクレタ島で用いられていた文字である。遺物の様子から、壮大な宮殿を営む支配者が海上貿易によって莫大な富を得ていた。強力な王権を行使し、クレタ島のみならず周辺海域にまで広く影響力を及ぼしていたことが分かる。
ミノア文明は、ギリシャ一帯に勢力を伸ばした。だが、数度に渡る火山の噴火や地震などの影響が、この文化に大きな打撃を与えた。前1400年頃、クノッソス宮殿が炎上した。これによって、ミノア文化は衰退の一途をたどっていった。また同時期のインド・ヨーロッパ語族(サンスクリット語、ペルシャ語、トカラ語、ギリシャ語、ラテン語、英語、バルト諸語、ロシア語、アルメニア語、アルバニア語などを含む語族)の侵入も、クレタ文明衰退の一因となったとも考えられている。
<エーゲ文明―ミケーネ(ミュケナイ)文明>
エーゲ文明のうち、ペロポネソス半島を中心に栄えた青銅器文明である。1939年にピュロス王宮で線文字Bの刻まれた粘土版が発見され、実際にはこれはミケーネ文明で用いられたものと判明した。BC1450からBC1375年頃まで、ギリシャ本土からエーゲ海諸島の王宮で用いられていた文字である。1952年にはミケーネ王宮、1971年にはティリンスでも線文字Bを記した粘土版が発掘されている。線文字Bは解読されており、ミケーネ語でギリシャ語の古形であることが判明している。
ミケーネ文明はアルゴリス地方で興り、ミノア文明と同じく地中海交易によって発展した。ミノア文明との貿易を通じて芸術なども流入し、ついにはクレタ島にも侵攻して征服していったと考えられる。この頃、ミケーネはトローアスのイリオスを滅ぼした(トロイア戦争)。BC1150年頃、突如勃興した海の民(アカイワシャ人、トゥルシア人、ルカ人、シェルデン人、シェクレシュ人の5つの集団から構成)によって、ミケーネ、ティリュンスが破壊され、ミケーネ文明は崩壊した。
ミノア文明の建築が開放的であったのに対し、ミケーネ文明の建築は巨石を用い、城壁で囲まれ閉鎖的である。中庭はミノア文明のそれとは異なり、中庭に代わるメガロンと呼ばれる室内空間で構成される。中庭はその付属物的存在である。建物は対称性が重視されている。王が君臨し統治下の村々から農作物、家畜などを貢納させていた。貢納を受ける役人が存在していたが、エジプトやメソポタミアほど統治機構の整備は進んでいなかったようである。
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