日本神話に登場する「淡島」
伊弉諾神と伊弉冉神が国産みを行った際に、両神の2番目の子として「淡島」が登場する。しかし、最初の子である蛭子神と同じく、不具の子であったために葦の舟に乗せて流され、子の数には数えないとしている。
「淡」は、「アハム」からきており、忌み憎む・軽蔑するなどの不吉なイメージを持ち、また日本書紀本文では一番最初に生まれた島で、その名の由来は生みそこないであるから、自分は恥をかいたと言う意味の吾恥から淡路洲と名づけたと記されている。ただし、これも男尊女卑の影響によって付加された話のようで、「粟島」としてむしろ歓迎すべき食物の島とする説もある。実際に一書第七・八・九には大八洲の一つとして数えられているし、一書第十においては生んだのは淡路洲と蛭児だけとなっている。
この島の比定置としては、和歌山県の紀淡海峡の友が島周辺の粟島や和歌山市加太の粟島とする説、兵庫県の淡路島とする説、「日本書紀」一書第六・九では、この淡洲とは別に淡路島を生んだとのの記述が見られることから、淡路島の属島である栗島である説もあるなど諸説入り乱れている。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
淡路(あわじ)国
淡路国は、淡路島の地域で、南海道に属しています。
『古事記』は「淡道」、『日本書紀』は「淡路」と記し、「阿波(粟)国へ行く道」の意と通常解されています。
『和名抄』は「阿波知」と訓じています。
瀬戸内海交通の要衝で、国生み神話では殆どの所伝が第一に淡路島が生まれたとし、記紀の中でも大和朝廷との関わりの深い、海人族の住む国でした。
この「あわじ」は、マオリ語の
「アワ・チ」、AWA-TI(awa=channel,river;ti=throw,cast)、「海峡に放り出されている(島)」
の転訛と解します。
【神田淡路町】(かんだあわじちょう)
武家地。
明治5年昌平橋うち、備後福山藩阿部家・大分藩久松松平家などの屋敷跡を町屋とし1~2丁目に分けた。同11年「郡区町村編制法」により、神田区に所属。同44年「市制町村制改正」により、神田の冠称を削除。
昭和8年1丁目の一小川町・駿河台3丁目に移し、2丁目の一部を駿河台4丁目に譲って町域が確定した。同22年千代田区に所属して冠称を復し今日に至っている。地下鉄の淡路町駅・小川町駅がある。
淡路の由来
町名は淡路坂(一口坂・芋洗坂)によるが、坂名は鈴木淡路守重泰の屋敷があったことによる。実は御茶ノ水の名の起こりとなった高林寺は、淡路町の内にあった。神田川の開鑿で名泉は失われたが、湧水は健在で神田川に落ちている。
0 件のコメント:
コメントを投稿