II 再認識された日本型食生活
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日本人の平均寿命が飛躍的に伸びた
日本人の平均寿命が延びたのは、ひとつには乳児死亡率[≡1,000 X(年間の乳児死亡数)/(年間の出生数);1,000出生児中の出生後1年以内に死亡した数]が激減したからである。乳児死亡率は、昭和初期には100以上であったが、近年では2000年3.83、2001年2.96、2002年2.9、2006年2.6と、年を経るごとに減少している。このことに加えて、進歩した医療技術も我々の寿命延長に貢献した。社会経済の発展によって、安全で暮らしやすくなったことも寿命延長に寄与している。
しかし、日本人の平均寿命を世界一にまで延長するのに最も貢献したのは、「日本型食生活」と呼ばれる、この国の特徴的な食事様式である。この国の住民の平均的な食生活(≡日本型食生活)を支えた食事、つまり日本食(和食)は、日本人になじみの深い食材を用いて整えられた、伝統的な主食、主菜、副菜がそろった食事のことである。生食、素材の味を生かした薄口の味付け、そして繊細な盛り付けの3点が日本食の特徴とされ、世界的にも評価が高い。
この成人の死亡率を低下させ、日本人の平均寿命を世界一にまで引き上げた実績のある国内でできるコメと、近海でとれる魚介類や海草類、大豆、野菜・果実類、牛乳など、様々の食材を組み合わせたエネルギー摂取が過剰になり難い「日本型食生活」は、コムギと畜肉に依存した「欧米型食生活」に比べて低脂肪、低カロリーで、栄養供給の面でバランスがとれていて、健康保持のためにも望ましいものであった。さらに、自然環境にかける負荷を軽減し、自給可能な農業資源を有効利用するためにも、また長い歴史のなかで形成された、この国の住民の生活様式と食文化から見ても、日本型食生活は望ましいものであった。
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日本型食生活の定着
1980年、農政審議会は内閣総理大臣(佐藤栄作)に対する答申「80年代の農政の基本方向」の第1章「日本型食生活の形成と定着-食生活の将来像」の中で、欧米諸国と比較して優れたバランスを持つ日本の食生活を評価し、栄養学的な観点はもとより総合的な食料自給力維持の観点からも(しかし、2008年現在、食料自給率はカロリーベースで約41%に低下した)、この「日本型食生活」を定着させる努力が必要であることを提言した。この提言を受けた農林水産省から、「食生活のあり方に関する研究」を委託された「食生活懇談会」(座長小倉武一、元食糧庁長官)が、1983年3月、「私達の望ましい食生活-日本型食生活のあり方を求めて」と題する、以下の8項目からなる提言をとりまとめた。
ü 総熱量の摂り過ぎを避け、適正な体重の維持に務めること
ü 多様な食物をバランスよく食べること
ü お米の基本食料としての役割と、その意味を認識すること
ü 牛乳の摂取に心がけること
ü 脂肪、特に動物性脂肪の摂り過ぎに注意すること
ü 塩や砂糖の摂り過ぎには注意すること
ü 緑黄色野菜や海草の摂取に心がけること
ü 朝食をしっかりとること。
「食生活懇談会」は、「コメを基本に、魚介類、野菜、果実、牛乳を組み合わせた、この国の住民の平均的な食生活、つまり日本型食生活はコムギと畜肉に依存した欧米型の食生活にくらべて、栄養供給の面でバランスがとれていて健康保持のために望ましいものである」とし、さらに「日本型食生活は自然環境にかける負荷を少なくし、自給できる農業資源を有効に利用するためにも、また長い歴史の中で形成された、この国の住民たちの生活様式の観点からも望ましい」と考えたのであった。なお、1990(平成2)年、日本型食生活指針検討会(座長:福場博保、昭和女子大(当時))が、その後の食環境の変化を考慮して、1983年策定の『食生活指針』の実効性を確保するための食行動指針「新たな食文化の形成に向けてー『90年代の食卓への提案』」をとりまとめて公表した。
農林水産省は、これら二つの指針を基にして「日本型食生活」の維持・定着に努めた。この「日本型食生活」と呼ばれる食事パターンは、より正確には、1970(昭和45)~1980(昭和55)年代の、この国の住民達にとってごく普通の平均的な食事パターンを指していた。そのころの食生活パターンは現在のものとは少し違っているが、それでも国民の平均的な食事は、概して健康を支え少なくとも見かけ上は豊かな生活の基盤を築きあげるのに貢献するものであった。
この国の住民の場合、成長期には好んで肉食をするが、歳を重ねると淡泊な味の植物性の食物を好むようになる傾向がある。この傾向を、谷崎潤一郎が随筆「懶惰の説」(篠田一士編、谷崎潤一郎随筆集、岩波文庫、p.15-36)の中で、次のように表現している。
『イギリス人は老人でも朝から濃厚なビフテキを食い、そして盛んにスポーツをして精力を貯え体力を養う。これも一つの養生法であるには違いない。しかしながら無精な人間の眼から見ると、刺戟性の食物を多量に摂取するために否が応でも運動しなければ消化しきれないということになっては、スポーツも一種の苦役である。(中略)昔、といっても、ついわれわれの祖母の時代の頃までは、堅気な家の女房というものは殆ど一年中、日の目も見ないような薄暗い部屋の奥にいて、めったに外へでることはなかった。京大阪あたりの旧家では、(中略)「ご隠居さん」といわれるような身分になれば、一日べったりと据わったきり座布団の上をさえうごきはしない。(中略)彼女らのたべる物といってはほんの僅かな、ごく淡泊な鳥の摺り餌のようなものだった。粥、梅干、梅びしお、でんぶ、煮豆、佃煮 ― 私は今でも祖母の膳の上にあった、そういう品々を思い出すことができる。彼女たちには彼女たち相応な消極的な摂生法があって、多くの場合、活動的な男子よりも長寿を保っていたのである。』
このような、加齢にともなう食嗜好の切り替わりが、現在でも日本人の寿命延長に役立っている筈である。摂取する全食料のうちで穀物・いも・豆・果実・野菜の合計量と、魚・畜肉・卵・油脂の合計摂取量の占める重量割合を、「国民栄養調査報告」と「国民健康・栄養調査報告」(平成15年以降)から見ると、動物性食品の摂取割合が50歳前後から次第に低下し、代わって植物性食品の摂取割合が増える傾向が認められる。このような加齢にともなう、食べ物に対する嗜好の切り替わりが「日本型食生活」の食物摂取パターンと相俟って、日本人の平均寿命を世界一に押し上げている原動力になっているに違いない。
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