http://www.fruits.ne.jp/~k-style/index6.html 引用
孔子の言う「道」とは天に通じる人の得る(体得する、悟る)べき道を表す。孔子は天の力を、天命、天の道理、天の徳等の言葉で表し、さらには「天だけが偉大」、「天命を畏れる」、「天に恥じず」、「天に罪を犯さず」、「天は徳を予(われ)に生(な)せり」、「天だけが私を分かってくれる」等、孔子の説いた道は「天に通じる真理」を示している事が表れている。孔子は、その道は自らが考え出したり創り出したものではないと言う。孔子は人々に示す時、この世に生きる人間の力では及びもつかない、その超越した力を「天」という言葉で表した。天に通じる道を聞く(悟る、体得する)ことが出来たなら、一日で死ぬことになっても良い(可)と言っている。
孔子は人間の可能性を信じていた。それは決して簡単に成就することではないが、それがいかに遠く困難な目標であっても、あるいは世俗の感覚では実現が不可能と思えるような理想であるからこそ、真に素晴らしいものであると言える。孔子は、この世を生きる人々が君子を目指し、さらには仁者を目指すことを、生涯を通じて説き続けた。道(天の真理)を聞く(悟る、体得する)ことこそが孔子の説いた真実の究極の目標であった。
子曰く、
「唯女子と小人は養い難しと為す。之を近づければ則ち不遜である、之を遠ざければ則ち怨む」(陽貨)
孔子のこの言葉は、多くの人々から誤解を受けやすい。養い難しとは、扱いにくいとも解され、素養(徳)を養うこと(説いて、その人間性(人格)の成長を助けること)が難しいことを意味する。孔子の真意は、後半の言葉の意味を知ることではっきりする。
女子(孔子にとっての女子、したがって情に流されやすい異性ととらえられる。さらには、小人と並び称されていることから、当時としても全女性を意味するわけではなく、人としての道をわきまえることなく、仁に対して素直な理解をすることのない女性ととらえらる)
小人(孔子の目指した、この世を生きるための人としての道(道理)をわきまえず、孔子の説いた仁を軽んじて、それを素直に求めようとしない人。しかし、小人は仁を行う人へ変わり得る可能性を持った存在でもある)
これらの人々には、道を説くのが難しい。自由に近づけて説こうとすると不遜 (師をたてる心が薄く、なれなれし過ぎ、礼を失して横柄に勝手気ままな言動をする)である。そこで、少し遠ざけて説こうとすると(その孔子の心を理解せず、嫌われ疎外され差別されたと一方的に思い込み)恨む。そう言って、孔子は嘆いた。
孔子は人を慈しむこと(仁)の大切さを説き、自らも努力を続けた人だったから、その相手の為になる事は説き、為にならない事は説かなかった。それは孔子が、それ(相手の知りたい答え)を知っているか否かに左右されるものではなかった。孔子は相手の状況や態度に応じて教えを説いた(あるいは説かなかった)ことは知られており、実生活においても自らが相手の状況や態度に応じ、適切な距離をとることに苦心していた。それは孔子が人を差別したのではなく、自らが説いた仁を真に行おうと努めていた表れであった。
子の疾(やまい)、病なり。子路祈ることを請う。
子曰く、「之(これ)有りや」
子路答えて曰く、「之あり。誄(るい)に曰く、『爾(なんじ)を上下(しょうか)の神祇に祈る』と」
子曰く、「丘(きゅう)の祈ること久し」(述而)
この時の孔子と子路との会話には、大きな意味が示されている。疾が病(へい)とは病気が重い状態を指し、そのような時だからこそ孔子の告白がされたと言える。弟子の子路が、孔子の病気が治るようにと祈ることの許しを願い、孔子がそれに対して「之有りや(病気の時に祈るという例とか理があるだろうか)」と聞いた。孔子は、子路の言った言葉(祈る)の真意を確認した。
子路が「古くから、こういう時の言葉に『あなたの病気平癒を上下(天地)の神に祈ります』というものがあります」と答えた。これに対する孔子の言葉が、大切な意味を持つ。孔子は「私(丘)は長年の間祈っている(したがって今回の病気のために、特別に祈る必要はない)」と言っている。子路は孔子にとっては、初期からの近くにいた弟子であった。したがって、孔子のこの一種の告白は、孔子が人知れず祈ることを常に実践していたことを示している。それは「久し」と言っているように、長く続けられていることも表している。
子曰く、「やんぬるかな、
吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ざるなり」(衛霊公)
孔子は「もう、おしまい(絶望)だ(やんぬるかな)」と言う。孔子の説いた徳を、色を好むように心から真剣に求める(好む)者を見たことがない、と嘆いている。色を好むとは、誰にも自然に備わった異性を求める欲望(愛欲や色欲等)、心から恋い慕う様子を表している。孔子は、徳はその真心から真剣に求めるべきもので、何よりも優先される必要があると考えていたが、そのような心の人を見たことがないと言う。孔子は色を好む事を取り上げ非難しているのではなく、誰にもあるその欲望を正しく自制出来る人格、人間性を好む者を一つの理想としていた。
同じ言葉は、子罕篇に「やんぬるかな」が付かずに記されているが、この「やんぬるかな」が付いたことに、いっそう孔子の嘆きの強さが窺えるのである。
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