子曰、学而時習之、不亦説乎。
有朋自遠方来、不亦楽乎。
人不知而不慍、不亦君子乎。
子曰く、
「学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずしていきどおらず、亦君子ならずや」(学而)
いにしえの良き教えを学び、それをいつも実践する、それこそ喜びである。朋(同じ教えを研究、学習する人)が遠くからでもいとわずにやって来る、それは実に楽しいことである。他の人が自分を正しく知って評価してくれなくても、心に不満をいだいたり、まして怒ったりはしない。それでこそ君子である。孔子にとっては、学ぶことそのものが楽しく喜ばしいものであった。良き教えを理解できない他の人々の評価は二の次であり、一々気にすることはないと言う。
子曰く、
「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。
是れ知るなり」(為政)
知っていることを知っているときちんと自覚して、知っていないことは知っていないと、はっきりと知りなさい(無知の知)。それこそが、真に知るということです。
人間には、よく理解出来ることと理解出来ないこととが存在する。孔子は、知らないことを知っているように思い込むことを戒めた。ある時、弟子の一人に人間の死について問われた孔子は「いまだに生についてさえよく知らないのに、どうして死について知っていよう」と答えた。これは論語に残されたものだが、孔子は相手を見て、それぞれの相手に適した答えを返した。孔子は、知らないことは知らないと自覚する必要性をも説いたのである。孔子は、決して人の死について軽んじていたわけではなく、死者の霊魂、先祖の霊魂に対する真実の心を大切なものとして尊んだ。
子曰く、
「其の鬼に非ずして之を祭るは諂(へつら)うなり。
義を見て為さざるは勇なきなり」(為政)
これは、孔子生存当時のチャイナの風習も関連する。孔子は自分の祖先の霊魂でないのに祭るのは、へつらうことであると言う。その前提として、自分の祖先の霊魂は正しく祭る必要があるとされている。孔子は、まずこの世において自分がなすべきことを努力する、鬼神は敬して遠ざかる(敬は尽くすが、迷信的に近づかない)とも言っている。たとえそのありようが通常定かには解らなくても、亡くなった人の魂を疎かに扱わないよう礼に従って祭るべきとする。死者を弔う儀式も、礼に従って怠り無くすることを勧める。また一方で、必要以上に儀式にこだわって心が伴わないよりは、たとえ形式に不足があっても死者を心から弔う方がよい、その思いがなにより大切であるとも説き、形式や儀式を大切にして、怠りなく行うことを勧めた。形式は人間のために作られたものであり、何よりも人間の心こそを大切にするようにと説いた。
義を見て正義の行いが出来ないのは、勇気がないのであると説く。これは現実社会において簡単には出来ない、実行が困難なことである。孔子は正義を行う勇気を、仁による勇気として大切なものとした。正しい行いにより何らかの害や不利益を受けるとしても、勇気を持って正しいことを行いなさい、つまり「目先の利益より、正義の方に真価がある」と説いた。義には仁が必要であるとしており、仁のない義は真の義と認めなかった。孔子は「仁者は(義において)勇者である」と言う。しかし「義の伴わない勇気は、危険な蛮勇となり得る」とも言い「勇者は必ずしも仁者ならず」と説いた。
顔淵仁を問う。
子曰く、
「己に克ち礼に復るを仁と為す。
一日も己に克ち礼に復れば天下仁を帰(ゆる)す。
仁を為すこと己に由る、人に由らんや」
顔淵曰く、
「其の目(もく)を請い問う」
子曰く、「礼に非ざれば視ること勿れ。
礼に非ざれば聴くこと勿れ。
礼に非ざれば言ふこと勿れ。
礼に非ざれば動くこと勿れ」
顔淵曰く、
「回、不敏と雖も、請う斯の語を事とせん」(顔淵)
弟子の顔淵(顔回)が仁を問い、孔子が答えたものから孔子の示した仁の本質が見えてくる。孔子は仁者には会う事は出来ないと言った。通常は君子を目指すことを人に勧め、仁者を勧めるようなことはなかった。ここでの仁の人は理想であって、顔淵にとっては生涯の目標を孔子に問い伺ったものである。
孔子は、克己復礼を第一に説いている。己に克つとは、我執(私利私欲への強い執着心)から離れることを意味する。それは決して自分を粗末にすることにではなく、我執(自我の強い欲望)に振り回されない安定した自己を得ることになる。それは真に自身を大切に慈しむことに繋がる。この言葉は、孔子の理想とした人の心の在り様を表している。
礼に復るとは、礼(天の道理に則した、この世における人や社会に関する決まりや定め)に従うことを指す。孔子は「己に克ち、礼に復することこそが仁である」と言う。それは孔子が理想とした目標を示すような、崇高な生き方と言える。だが現実として人間にとって、己の欲(心身の欲望)を正しく制御することは容易ではなく、その欲が生きる支えや原動力となる場合もある。
0 件のコメント:
コメントを投稿