2017/10/13

山幸彦と海幸彦(5)

一書(二)

彦火火出見尊が、門の前の井戸のほとりの百枝(ももえ)の杜樹(かつらのき)に跳び昇りて立る。すると海神の女(むすめ)、手に玉鋺(たまのまり)を持ちやって来て水を汲まんとする。人の影が井戸の中にあるのを見て、仰ぎ見るや、驚いてお椀を落とした。お椀は砕け散ったが、顧(かえりみ)ずして帰り戻り、父(かぞ)母(いろは)に、

 

「妾、一の人、井の邊(ほとり)の樹の上に在るを見たり。顔色(かお)甚(はなは)だ美(うるわ)し。容貌また閑(みやび)たり。殆(ほとほと)に常の人に非(あら)ず」

と語った。

 

すると父の神はこれを聞いて奇(あやし)く思い、八重の席(たたみ)を設けて迎え入れ、坐して定まりてから、やって来た理由を尋ねた。彦火火出見尊が事情を全て話すと、時に海神(わたつみ)便ち憐みの心を起こして、ことごとく鰭廣(はたのひろもの)鰭狹(はたのさもの)を召して尋ねた。

 

「知らず。ただ、赤女のみ口の疾(やまい)有りて来たらず」または「口女、口の疾有りと」と皆言った。そこで急(すみやか)に召しその口を探すと、失った釣針がすぐに見つかった。そこで海神は

「おれ(こら)口女は今より往(ゆくさき)、餌を呑むことを得じ。又、天孫の饌(みあえ)に預(あず)かるを得じ」と禁じた、とある。

 

彦火火出見尊が帰る時になり、海神は、

「今は、天神の孫、辱(かたじけなく)も吾が處に臨(のぞ)みて、心の中(うち)の欣慶(よろこび)、何(いつ)の日にか忘れん」

と申し上げた。そして思うがままの思則潮溢之瓊(おもえばしおみちのたま)・思則潮涸之瓊(おもえばしおひのたま)をそのに副(そ)えて奉進(たてまつ)りて

「皇孫八重の隈(くま)を隔(へだ)つといえどもねがわくは時に復た相い憶(おも)いて棄て置くこと勿(なか)れ」

と言って、そして、

「この鉤を以ちて汝が兄にあたう時に、則ち貧鉤(まぢち)・滅鉤(ほろびのち)・落薄鉤(おとろえのち)ととなえ、言い訖(おわ)りて後手(しりえで)に投げ棄てあたえ、以ちて向(むか)いて授くること勿(なか)れ。若し兄、忿怒(いかり)を起こして、賊害(そこな)わん心有らば、則ち潮溢瓊(しおみちのたま)を出だし以ちて之を漂溺(おぼお)せ、若し危苦(なや)まんに至りて愍(あわれみ)を求(こ)わば、則ち潮涸瓊を出だして以ちて之を救え。如此(かく)逼(せ)め惱ませば、自ずからまさに臣伏(したが)わん」

と教えた、とある。

 

そこで彦火火出見尊、その玉と釣針を受け取り本宮(もとつみや)帰って来て、一(もはら)海神の教えた通りに、まずその釣針を兄に渡したが、兄は怒って受け取らなかった。そこで弟が潮溢瓊を出だせば、潮が大いに満ち兄は自ずと没み溺れて、

「我まさに汝に事(つか)えて奴僕(やっこ)とならん。願わくは救い活かすこと垂れたまえ」

と懇願した。

 

弟が潮涸瓊を出すと潮は自然と引き、兄は元の状態に戻った。そうしたところ、兄は前言を改め、「我はこれ汝が兄なり。如何(いかに)ぞ人の兄として弟に事えんや」と言った。弟はそこで溢瓊を出した。兄はこれを見て高い山に逃げ登ったが、潮は山もまた沈めた。兄は高い樹に登るが、潮は樹もまた沈めた。兄は途(みち)に窮(きわま)り逃げ去る所無く、罪に伏して、

「我、過(あやま)りつ。今より以往(ゆくさき)、吾が子・孫の八十連屬(やそつづき)、つねにまさに汝が俳人(わざひと)とならん。あるいは、『狗人(いぬひと)』と。請う哀みたまえ」

と言った。

 

弟が涸瓊を出すと、潮は自然と引いた。そこで兄は弟に神々しい徳があることを知り、ついにその弟に伏い事えた。こういう訳で、火酢芹命(ほのすせり)の苗裔(すえ)(末裔)の諸(もろもろ)の隼人等、今に至るまで天皇(すめらみこと)の宮墻(みやかき)(宮の垣根)の傍(もと)を離れず、代(よよ)に吠ゆる狗(いぬ)(番犬)して事え奉っているのである、とある。

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