一書(四)
ここで彦火火出見尊は火折尊(ほのおり)と呼ばれ、塩筒老翁と出会うまでは一書(三)に類似した記述がある。続いて老翁「また憂(うれ)うることなかれ。我、まさにこれを計らん」。計りて曰く、「海神が乗れる駿(すぐれ)たる馬は、八尋鰐なり。これその鰭背(はた)を竪(た)てて橘之小戸(たちばなのおど)に在り。あれまさに彼の者と共に策(はか)らん」と言った。そして火折尊と共に見に行った。
この時に、鰐魚(わに)策(はか)りて「我は八日(やか)の以後(のち)に、まさに天孫を海宮に致すべし。唯(ただ)し我が王(きみ)の駿)れたる馬は一尋鰐魚なり。これまさに一日(ひとひ)の内に、必ず致し奉らん。故、今、我帰りて王をして出で来さしむ。宜しく彼に乗りて海に入るべし。海に入る時に、海の中に自ずから可怜小汀有り。其の汀の隨(まにま)に進まば、必ず我が王の宮に至る。宮の門の井の上に、まさに湯津杜樹有るべし。宜しくその樹の上に就(ゆ)きて居(いま)すべし」。言ってすぐ海に入り去った。そこで天孫は鰐の言う通りに待ち留まり、待って八日になった。しばらくして一尋鰐魚がやって来たので、乗って海に入る。そのどれも以前の鰐の教えに従いおこなった。
すると豊玉姫の侍者いて、玉鋺を持ち、まさに井の水を汲まんとする時に人の影の水底に在るを見て、酌(く)み取る事が出来ず、そこで天孫を仰ぎ見た。即ちに戻り、王に「あれは我が王(きみ)を独り能く絶(すぐ)れて麗しとおもうに、今、一客(ひとりのまろうど)有り。かれまた遠く勝(まさ)れり」と報告した。海神それを聞いて「試(に之を察(み)ん」と言う。そりて三床(みつのゆか)を設(ま)けて請い入れた。 ここに天孫は、ほとりの床にそのふたつの足を拭い、中の床にそのふたつの手を押え、内の床には眞床覆衾(まどこおふすま)の上に寛(あぐ)み坐した(ゆったりと座った)。海神これを見て、天神の孫と知り得た。 益(ますます)崇敬(あがめうやまう)ことを加う、とある。 〜中略〜
海神は赤女(赤鯛)・口女(鯔魚・なよし)を召して尋ねると、口女が口より釣針を出だして奉る。時に海神、釣針を彦火火出見尊【何故がここだけ彦火火出見尊となる】に授け「兄に鉤を還す時に、天孫則ちまさに『汝が生子(うみのこ)八十連屬(やそつづき)の裔(すえ)に、貧鉤(まぢち)・狹狹貧鉤(ささまぢち)』と言い、言い訖りて三たび唾下(は)きて之をあたうべし。又、兄が海に入りて釣りする時に、天孫は宜しく海濱(うみへた)に在りて、以ちて風招(かざおき)作(な)すべし。風招、即ち嘯(うそぶき)なり。如此(かく)なせば則ち吾は瀛風(おきつかぜ)・邊風(へつかぜ)を起こして、奔(はや)き波を以ちて溺(おぼ)し惱まさん」と教えた。火折尊帰り来たりて具(つぶさ)に海神の教えに遵う。
兄が釣りをする日になり、弟は浜辺で嘯く。迅風がたちまち起こり、兄は即座に溺れ苦しみ、助かる見込みもなかった。そこで遠くにいる弟に「汝、久しく海原に居(いま)しき。必ず善き術(すべ)有らん。願わくは救いたまえ。若(も)し我活(い)くれば、我が生子(うみのこ)八十連(やそつづき)に、汝の垣(かき)の邊(へ)を離れず、まさに俳優の民とならん」と請い出た。それを聞いた弟は嘯(うそぶ)くこと停めた。さすれば風もまたすぐに息(や)む。兄は弟が神徳を得たのを知り、自ずと伏(したが)わんと欲った。
ところが弟はおもほてり有り(怒の表情のまま)て、あい言わず(口をきかない)。そこで兄は、著犢鼻(たふさぎ)して、赤土(そほに)を以ちて掌(たなうら)に塗り、面(おも)に塗りて、弟に「我、身を汚すことかくの如し。永く汝が俳優者(わざおさひと)とならん」告げた。そして足をあげ踏み行き、その溺れ苦しむ状(かたち)を示した。初め潮が足に浸した時に足占(あしうら)をなし、膝に至る時に足をあげ、股に至る時に走り廻(めぐ)り、腰に至る時に則ち腰を捫(もち)い、腋(わき)に至る時に則ち手を胸に置き、頸(くび)に至る時に則ち手をあげ飄掌(たひろかす)(ひらひらさせた)。
これより先に、豊玉姫が出で来てまさに産(こうむ)時に、皇孫(に請いて曰く、〜中略〜皇孫従わず。豊玉姫、大きに恨み「妾が言を用いず、我に屈辱(はぢみ)せつ。故、今より以往(ゆくさき)、妾が奴婢(つかいひと)君がもとに至れば、また放ち還すことなかれ。君が奴婢(つかいひと)妾がもとに至らば、また、還すことなし」いって、真床覆衾と萱でその子を包んで渚に置くと、海に入り去った。
あるいは御子を波瀲(なぎさ)に置ではなく、豊玉姫命自から抱きて去っていったと、久しくして「天孫の御子をこの海中に置くは宜(よろ)しからず」と言って玉依姫に抱かせて送り出した、とある。初め豊玉姫は別れ去る時に、恨みの言(こと)口にした。その為火折尊はそう会えないと知り、歌を贈ること有り。それは上(かみ)に見ゆ、とあり一書(三)の異伝に見える内容である。
海彦と山彦
こうした「山幸彦と海幸彦」の話は、日本の童話に大きな影響を与えており、日本各地に「海彦と山彦」として伝えられている。
浦島太郎伝説への影響
こうした「海幸彦と山幸彦」の神話は、日本各地にある「浦島太郎伝説」のモデルになっているといわれる。
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