http://www.geocities.jp/timeway/index.html 引用
エジプトやシリアで諸民族の活動が活発になると、地中海を通じての交易も生まれてきました。東地中海沿岸とそこに浮かぶ島々の間に交易圏が発生します。この交易圏に生まれたのがクレタ文明です。文明と呼ぶような大規模なものではないですが、こんな大きな言い方をするのはギリシア文明のご先祖様の位置にあるからでしょうね。
場所はクレタ島。ギリシアの南方に浮かぶ小島です。1900年、イギリス人エヴァンズが、この島の中央部クノッソスで巨大な宮殿跡を発掘しました。クノッソス宮殿といいます。この宮殿は周囲に城壁を持たず、また中がたくさんの小部屋に分かれているのが特徴です。壁画にはタコやイルカなど、海の生き物たちが実に生き生きと描かれていました。
クレタ文明が栄えたのは、前2000年から前1500年位までの約500年間です。絵画など、初めはエジプトなどオリエント文明の影響が色濃いのですが、段々と独自色が出てきます。クレタ文明の担い手たちはギリシア本土を支配していたようで、ギリシア神話の中に、そのことを思わせる話が残っています。ミノタウロス伝説という話です。
ミノタウロス伝説
クレタ島には、ミノタウロスという化け物が住んでいました。
クレタに支配されていたギリシアのアテネの町は、毎年ミノタウロスに生け贄を捧げなければならない定めになっていました。生け贄は少年少女それぞれ7人。彼らはクレタ島のクノッソスに連れていかれ、ミノタウロスに食べられてしまう運命。毎年、生け贄の子どもを決める時期が来ると、アテネの親たちは悲しみに沈みながら、くじ引きをする。当たりくじをひいてしまったら、自分の子どもが生け贄です。
クレタ島の王は、ミノス王といいます。かれは王位に就く時に海の神ポセイドンの力を借りるのですが、その際に王になったら美しい牡牛をポセイドンに捧げると約束した。ところが実際に王になると、牡牛を捧げるのが惜しくなってしまい、ポセイドンとの約束を守らなかったため、怒ったポセイドンがミノス王に仕返しをします。
ミノス王にはパーシパエという妃がいるのですが、そのパーシパエに牡牛を好きになってしまうという呪いをかけるのです。呪いをかけられたパーシパエは、牡牛に惚れてしまう。好きで好きでたまらなくなり、気も狂わんばかり。それで、雌牛そっくりの模型をつくり、その中に入って牧場で草を食べてる牡牛に近づきます。牡牛は本物の雌牛と勘違いして、交わってしまった。
こうして王妃パーシパエは想いを果たすのですが、時が満ちて彼女のお腹が大きくなってきた。産まれた子どもは顔が牛、体が人間という化け物だった。これがミノタウロスです。困ったのが、ミノス王です。もとはといえば、自分のポセイドン神に対する裏切りが原因のため、ミノタウロスを殺すことも生かすこともできず、悩んだあげくに考えついたのが、迷宮をつくってここにミノタウロスを閉じこめることでした。一度入ったら二度と出られない迷路の宮殿です。この宮殿の奥には「ラブリス」という両刃の斧が置かれていたので、この迷宮をラビリントスといいます。英語の「ラビリンス(迷路)」の語源です。
アテネから連れてこられた子どもたちは、この迷宮に閉じこめられ迷宮の中でミノタウロスに出会って食べられてしまう運命です。そのアテネに、少年英雄テーセウスが登場します。彼は旅からアテネに帰ってくると、少年たちが生け贄として捧げられることを聞いて憤慨し「俺が化け物を退治する」といって、みずから生け贄に志願し、クレタ島に送られるのです。クレタに着くと、ミノス王の娘、王女アリアドネがのすごい美少年のテーセウスを見て、一目惚れしてしまった。
アリアドネは、こっそりテーセウスに近づいて「自分の夫になってくれるか」と聞く。テーセウスは、彼女を妻にする約束をする。未来の夫が、ミノタウロスに殺され食べられては困るアリアドネは、テーセウスにこっそりと麻糸の玉と短剣を渡します。迷宮に閉じこめられたテーセウスは、入り口に麻糸の端をひっかけておいて、糸玉をほどきながら迷宮の奥に進んでいきます。やがてミノタウロスと出会って闘うのですが、アリアドネから渡された短剣を使って、ミノタウロスを倒すことに成功し、糸をたぐって無事に迷宮から脱出した。
実際のクノッソス宮殿の遺跡には、たくさんの小部屋がつくられていて、古代ギリシア人たちはこれを迷宮と考えたのでしょう。生け贄を捧げるというのは、実際にあった話かもしれない。少なくともギリシアの人々は、クレタ島の支配者に対し、貢納義務とかがあったのでしょう。
またクノッソス宮殿には、牛を描いた壁画もあった。突進している牡牛が中央に描かれ、それと三人の少年。一人は牡牛の角を掴み、もう一人は牛の背中で逆立ちし、最後の一人は牛のうしろで両手を前に伸ばすポーズをとっています。この絵を宗教的な儀式だとする解釈があります。突進する牛を少年が待ち構えていて、うまく牛の角を掴んだら思い切りジャンプして、牛の背中に手をついて反転して着地する。成功したらいいんですが、失敗したら牛の角に突かれ悪くすれば死んでしまうでしょう。このサーカスみたいな見せ物自体を神に奉納したのではないか、ということです。
牛を神に捧げる、もしくは牛そのものを神聖な生き物と考える、こんな発想が地中海世界には広くあるように思います。牛と人間が真剣勝負で闘うというのは、同じ地中海に面するスペインで現在も盛んにやっていて、一流の闘牛士はスーパースターだそうですが、やはり牛に突かれて死んでしまうこともあるそうです。闘牛の起源は、クレタ文明にあるのかも知れません。クロマニヨン人がラスコーやアルタミラの洞窟に、牛をたくさん描いたことを連想するんですがね。
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