2004/09/11

喜連瓜破(きれうりわり)

 大阪というところは分けのわからない変な地名の多い土地柄ですが、今回紹介する平野区の「喜連瓜破(きれうりわり)」なども、さしずめその代表格と言えるでしょう。

この地名は「喜連」と「瓜破」という二つの地名がくっ付いたもので、同じ地下鉄谷町線の駅名にある「関目高殿(かんめたかどの)」や「千林大宮(せんばやしおおみや)」或いは「太子橋今市(たいしばしいまいち)」(これらもそれぞれ一癖も二癖もある地名であり、いずれ紹介していく事があるかもしれません)と同じタイプの地名と言えます。したがって「喜連」と「瓜破」の、それぞれの由来は別々という事になります。

●喜連(きれ)の由来
喜連は、1798(寛政10)刊行の「古事記伝」に「河内の堺なり、昔は河内に属して、万葉に河内国伎人郷とある處なるを、久礼を訛って喜連と云うなり」と記され、かつては「伎人郷」とよばれ、河内の国に属していた。後に久禮と語られ、中世室町時代ごろから喜連とよばれるようになった。また、古き時代、呉の国から来た機織の技術者、呉織・穴織等の呉人が、この地に住みついたので、「くれ郷」となり、それがなまって「きれ」になったという説もある。現在使われている「喜連」の文字は、地名を漢字で表す際、美しい・喜ばしい意味を持つ字を使う習慣から用いられたと言われている。

●瓜破(うりわり)の由来
大化年間(645649)、道昭法師が当地の庵で祈念の最中、天から光明のさしたご神体が降ってきたので、瓜を割()ってお供えしたことから「瓜破」と呼ぶようになったという説と、弘法大師が高野山へ登る途中、この地を通り水を所望したところ、住民が瓜を割()って差出したことからこの名がついたという説があるが、定かではない。いずれにせよ、昔から瓜(西瓜)の産地であったことが、地名に由来しているといわれている。

●駅名の由来
当初は『喜連駅』となる予定だったが、瓜破側住人が反発。駅の位置が喜連と瓜破の町界であることに留まらず、摂津国(喜連)と河内国(瓜破)の国境であることも相まって議論は平行線を辿り、結局、『喜連』と『瓜破』を一緒にしてこのような駅名となった。また、この両町名は難読地名として知られる。
※Wikipedia引用

0 件のコメント:

コメントを投稿