Classic音楽は一般的に、年代によって様々な呼び名がある。年代順に良く知られている作曲家を列挙すると、以下のような感じになる。
・バロック音楽(17世紀半ばくらいから18世紀半ばくらいまで)
⇒モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、J.S.バッハなど
・古典派音楽(18世紀半ばくらいから19世紀初め頃まで)
⇒ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど
・ロマン派音楽(19世紀初め頃から20世紀初め頃まで)
⇒ウェーバー、ロッシーニ、シューベルト、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リスト、ワーグナー、ヴェルディ、ブルックナー、ブラームス、ビゼー、ムソルグスキー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、マーラー、R.シュトラウスなど
・近現代音楽(20世紀以降)
⇒プッチーニ、ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキー、ベルク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、メシアンetc
※「バロック」の前には「ゴシック」、「ルネサンス」などがあるが、ここでは省略
※「バロック」の前には「ゴシック」、「ルネサンス」などがあるが、ここでは省略
それぞれが、時代の流行的なものを反映した特徴がある事はいうまでもないが、基本的には今の感覚で聴いてみると「バロック」から「ロマン派」の間の200年間くらいは、音楽的にそれほど大きなギャップを感じる事はないはずだ。
ところが、ちょうど20世紀初頭辺りから産声を上げた「現代音楽」の時代からは、それまでの流れから大きく逸脱した(それまでの感覚では)わけのわからない音楽のオンパレードとなっていった(上の例ではプッチーニからだが、より顕著となるのはシェーンベルク以降)
そもそも、Classicに馴染みの薄い人たちにとっては「現代音楽」という用語そのものが、非常にわかりにくいところがあるだろう。普通に解釈すると「現代の音楽」、つまり「新しい音楽」という事になるのだが、そう単純な話ではない。
元々「Classic」というのは「clas・sic」といって《第1級の; 上品な; 古典[古代ギリシア・ローマの文芸]の, 古典的な; 典型的な; 由緒(ゆいしょ)のある; (服装など)クラシックな》とか《古典, 最高の文学・芸術作品》(goo国語辞典・大辞林より)という意味があり、決して音楽だけに限定した言葉ではないのである。
つまり「現代音楽」というものは「Classic」という大括りのカテゴリの中の新しいものという解釈も出来ますが、実は本来の意味はそうではなく次に紹介するように、もっと別の深いところに真実が隠されている。
「現代音楽」という言葉には様々な解釈の仕方があるが、最も正当だと思えるのは《シェーンベルクの十二音技法を拡大させた、ダルムシュタット派の音楽》というころである。
《第2次世界大戦が終わり、廃墟と化したヨーロッパでは伝統と無縁の、全く新しい音楽の試みが始まっていました。その中心は西ドイツ、ダルムシュタットのクラニヒシュタイン音楽学校で毎年夏に行われる「国際現代音楽夏期講習」でした。
1946年に始まったこのセミナーは、最初は戦前にシェーンベルクらが始めた「十二音技法」を消化する事から始まりました。「十二音技法」とは無調音楽の一種で、一オクターブの中に含まれる十二の半音を必ず一個ずつ使った十二の音から成る音列 (セリー)を作り、これを様々に組み合わせて曲を書いてゆく方法のことです。
なぜこんな事をするかというと、完全な無調音楽を目指したからです。普通「ハ長調(Cメジャー)」とか「ホ短調 (Eマイナー)」とかいう調性は、必ず最後に「ハ (C)」とか「ホ (E)」といった「中心音」に帰る性質を持っています。
逆に言えば中心音が存在する限り、その音楽は多かれ少なかれ調性感を持つという事です。いかに無調に聞こえても、同一の音が頻繁に何回も現れては完全な無調性とは言えません。これを避けるため、一オクターブ中の十二半音を平等に使い、中心音の存在を否定するのが「十二音技法」なのです。
十二音音楽は1948年以降急速に広まり、1949年にはフランスの作曲家メシアンが十二音セリーの考え方を一歩進め、音階だけでなくリズムや強弱にも決まった組み合わせ(セリー)を導入しました。これは、ブーレーズ
(今では指揮者として有名)らの「ミュジック・セリエル」に発展していきます。同時に1948年以降のフランスでは、テープを編集した「ミュジック・コンクレート(具象音楽)」の試みが始まります。
要するに、ここでいう現代音楽とは「現代の音楽」ではなく、無調・前衛手法を使った実験的な「ゲンダイオンガク」の事なのです》
これでは何の事かよくわからないでしょうから、ワタクシ流にもっと簡単に書いてみる事にします。
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