コーヒーを習慣として飲み始めたのは遅く、20歳を過ぎてからでした。硬派なサッカー少年だった高校生までは女学生とデートをするという機会もないままに過ごし、喫茶店のような店に足繁く通うようになったのは大学時代からです。といっても仕送り学生で常に金欠に喘いでいたせいで、喫茶店よりは寧ろ学生ラウンジでダベッたり、外へ出る時はカフェバーなどに呑みに行く事の方が多く、昼のデートで喫茶店に入った時もオレンジジュースやレモンスカッシュ、或いはソーダ水ばかり飲んでいました。もっとも、まだ知り合ったばかりで「これは」と思うような相手の場合はジュース系ではしまらないため見栄を張って
「オーレ!」
「カプチーノ!」
などと、わかりもしない小説などで聞きかじりの知識で気取っていましたが、これがどう飲んでも口に合わないから、次第に
「オジュ!」
「レスカ!」
「ダスイ!」
と本性が現れる事となります。
「にゃべって案外、甘い系が好きなんだねー」などとからかわれた時には、相手も大抵はパフェやフロート系を好む若い女性なので「いや、オマエに合わせただけさ・・・」などと誤魔化しておりました。まだ「スタバ」のような若者向けの格安チェーンが出てくる前の時代だったため、飲みたくもないコーヒーを無理に飲む事なく済んだのは幸いでした。
キャンパスライフを終え名古屋に戻ってマスコミ記者となると、某プロダクションとフリーで契約を結びます。フリーという身分は、好きな時に会社に顔を出せば良いわけで「原稿はここへ来て書けばいいぞ・・・机もあるから」と社長などから再三言われていましたが、まだ20歳そこそこと若かっただけにオジサン、オバサンばかりの会社は甚だ居心地が悪く、給料日くらいしか顔を出さずにもっぱら自宅や外で原稿を書く日々が続きました。
当時のライフサイクルは、日中に取材をして夜に自宅で原稿を書くというのが基本でしたが、飲食店の取材では夜遅い時間に来てくれと言われる事もあり、そうした場合や締め切りが迫っている時には、昼間にも原稿を書かなければいけなかった。最初のうちは自宅で書いていたものの、近所の「放送局」と渾名される煩型のオバタリアンに「あの人は夜の商売?」と変な噂を巻き散らかされたのを機に、用のない日まで午前中から外出を余儀なくされる破目となり、仕方なく図書館や喫茶店で原稿を書かなければならない仕儀と相成ります。
ところがご存じの通り、図書館というのは学生を中心に開館前から列を成して並んでるような状態なので、夜行性だった当時のワタクシが昼近くにゴソゴソと行く頃には、常に満席という状態であります。仕方なく喫茶店で書く事になりますが、コーヒー1杯で粘れるのも精々1時間程度だから締め切り前などは2~3件ハシゴをして書く事になり、こんな時はコーヒーを味わっているような余裕もないし、3件も廻れば1000円くらいの出費になってしまうのは痛かった。そこで目を付けたのが「ドトールコーヒー」で、ここなら1杯180円の上に普通の喫茶店よりは遥かに広いから、長時間粘っていてもあまり目に付きません。
とはいえ毎日のように通って来ては、なにやら熱心にわき目も振らずペンを走らせている若い男。そして毎回、180円コーヒー1杯で1時間以上は粘っている図々しい男は、甚だ目立つ存在(ただでさえ、人目を惹く美貌もあって?)らしく、何度か通ううちに女性店員らの注意を惹かずにはおかないらしい。さりげなく注目されている視線を感じるようになった時が別の「シマ」へと引っ越すタイミングで、こうして同じ事を繰り返しているうちに名古屋中心部にあるチェーンの殆んどの店を「制覇」してしまい、仕方なく最初のシマへと戻っていったりといった無駄な苦労を重ねていました。
そのうち「漫画喫茶」などもボチボチと目に付くようになり、ここならば何時間粘ろうが店員に感謝されこそすれ気を使う必要はないから、安心して原稿書きに没頭できます。もっとも、漫画喫茶で漫画にはまったく興味を示さず、ひたすら原稿を書くのに2時間、3時間を費やしているワタクシの姿は、やはり店員ばかりか客の目をも惹く存在ではあったようですが・・・
こうして心ならずも喫茶行脚を余儀なくされるうちに、ワタクシのようなコーヒーに興味のない者にも、味の良し悪しが感じられるようになった。「黒い湯」としか形容しようのない拙い格安チェーンのコーヒーや漫画喫茶のコーヒーと、マトモな喫茶店のコーヒーの違いくらいはわかる程度になってくると、そのころには自宅でも飲むようになっていたインスタントコーヒーの味にも「ネスカフェ・エクセラ」から「ゴールドブレンド」に
変えたり、UCCやキーコーヒー(どちらも不味かった)を試したり、歳暮で贈られてきたAGFが不味くて1杯試しただけで人にやってしまったりと、それなりのこだわりを持つようになっていきます (。 ̄Д ̄)d□~~
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