かつて夏に、京都の宇治を旅した時の話である。
宇治上神社、萬福寺と回った後に宇治川べりを歩き、最後にお目当ての平等院を時間を掛けてじっくりと拝観すると、すっかり小腹が空いてきた。 ちょうど平等院から出た宇治川沿いに、みやげ物屋兼休憩所兼レストランのような店が目に付いたので、みやげに買って行く宇治茶とお菓子のついでにレストランへ入る。
なにせ真夏の昼間の観光、しかも例によっての強行軍とあってタダでさえ暑いところにもってきて、四方を山に囲まれた京の夏はとにかく暑い。そうなるとどうしても「ざるそば」が恋しくなる訳で、ちょうど幟が目に入った事もあり、大好きなざるそばを一杯とメニューを広げると「茶そば」しか載っていないではないか。
(茶そばってのは、要するに抹茶のそばの事だよな・・・)
寺社の拝観が大好きではあるが、あの抹茶だけはどうにも苦手で自ら進んで飲むことは勿論、大原など抹茶が強制されるような寺院でも、お義理で形ばかり口をつける程度で済ませているくらいだから、オーダーを採りにきた店員にも
「ざるそば一丁!
茶そばでなく、普通のそばでねー」
と告げた。
「はぁ・・・普通のそばというのは、ちょっとおへんなー・・・茶そばは、お嫌いおすか・・・?」
(ダメもなにも、それしかないのなら仕方ないか・・・)
見渡したところ他に店とて目に付かず、またあってもどうせ同じように茶どころの宇治だから「茶そば」ばかりなのだろうと、諦めて注文する事にする。
まず、冷えた宇治茶に口をつけると
(え~~~~~~っ!)
と思うくらいに美味で、思わず何杯もお替わりをしていると茶そばが運ばれてきた。
当然の事ながら見た目はあの抹茶の濃厚な緑色だから、黒っぽい信州そばで育った身にとっては、なんとも不味そうな印象が捨てきれない。
「これって、やっぱ抹茶の味が濃いのかな?」
と訊いてみると
「いえ、お抹茶の味は殆んどしまへんどす」
という返答が返って来て
(考えても仕方ない。ええい、ままよ!)
と食べてみると、これがなんとも旨いのだ!
繰り返すように、抹茶嫌いのワタクシとしては「抹茶入り」と聞いただけで退いてしまうところであり、見た目も抹茶そのままの色なのだ。ところが食べてみると、抹茶の味が殆んど気にならない食感は実に不思議で、やはり食わず嫌いはダメだと認識させられたものだった。
それにしても、あの茶そばの異様な旨さは
・暑さのためだったのか。
・「茶どころ宇治で食べる茶そば」という先入観の齎すシュチュエーションの成せる業か
・単に歩き回って空腹だったためか
・量が少なくて食い足りなかった未練からか
などなど色々な要素が考えられる。 そうして、帰宅後たっぷり一週間は
「もう一度、あの宇治の茶そばが食べたい・・・」
と、日夜うなされ続けた 。。(--)ZZZ..
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