パガニーニには興行師としての才能もあり、木靴に弦を張って楽器として演奏し一儲けした後、金に困った女性を助けたなどの逸話もある。また演奏会にて、弾いている最中にヴァイオリンの弦が切れていき、最後にはG弦しか残らないも、それ一本で曲を弾ききったと言う逸話もある。しかしながら弦が頻繁に、高い方から都合よく順に切れていく事、一番低いG弦は決して切れなかった事(弦楽器は開放弦より低い音を出す事は出来ない)などから、パガニーニ本人がパフォーマンスの一環として、伸ばして鋭くした爪で演奏中に弦をわざと切っていたと言われている。
またパガニーニは、自身の利益や金銭に執着する人物であったと言われる。高い評価や人気を得るに連れ、演奏会のチケット代は高額を要求するようになった。やがて偽造チケットも多く出回ったため、自ら会場の入口に立ちチケットをチェックするほどの徹底ぶりであったと言われる。
パガニーニが演奏するのに使用したヴァイオリンは、1742年にグァリネリ・デル・ジェスが製作した「カノン」が有名である。賭博でヴァイオリンを賭け、それを取られてしまうということがあったが、1802年にリヴロンという商売人がパガニーニに、演奏会で自身が所有する上記のグァリネリのヴァイオリンを使用してほしいことを申し出た。パガニーニはそれを承諾し、演奏会でそのヴァイオリンを使用したところ、演奏会は予想以上の成功を収めた。それを見てか、リヴロンは感激し貸したヴァイオリンを「一生使用する」ことを条件に譲渡した。
以後、パガニーニはこの楽器を音の大きさから「カノン」と命名し愛用した。なお「カノン」はパガニーニの遺言で「他人に譲渡、貸与、演奏をしない」ことを条件に故郷ジェノヴァ市に寄贈した。この遺言は当初は守られたが、1908年に定期的な修理を兼ねてヴァオリニストに貸与することを決定。1937年の全面修理を経て、現在に至るまでパガニーニの遺言を無視する形で貸与と演奏がされている。
シューベルトはパガニーニがウィーンに来た時、家財道具を売り払ってまで高いチケットを買って(友人の分まで奢って)パガニーニの演奏を聞き(ちなみに、この時にシューベルトが聞いたのが「鐘のロンド」を持つヴァイオリン協奏曲である)
「天使の声を聞いた」
と感激した。
金銭に関して執着しないシューベルトらしい逸話である。この台詞は正確には
「アダージョでは天使の声が聞こえたよ」
と言ったものである。派手な超絶技巧より、イタリアオペラに近い音色の美しさをとらえるシューベルトの鋭い感性も覗える。また、リストは初恋に破れ沈んでいた20歳の時に、パガニーニの演奏を聞いて
「僕はピアノのパガニーニになってやる」
と奮起し、超絶技巧を磨いたという逸話もある(リストは、ヴァイオリン協奏曲第4番を聞いたといわれている)
出典Wikipedia