2005/08/18

リムスキー=コルサコフ 交響組曲『シェヘラザード』第2楽章《カランダール王子の物語》

 


カランダールとは、諸国行脚の苦行僧のこと。シェヘラザードの主題に始まり、ファゴットによる3/8拍子のメロディがカレンダー王の主題を示す。その後、中間部ではトロンボーンやトランペットの力強い響きが特徴的。そして様々な主題が絡み合い、力強く激しく終わる。

 

母と兄からは「音楽を職業にすることは、充分な収入が約束されない」と説得され、彼は海軍士官にならざるを得なくなる。海軍士官になるためには、世界一周の遠洋航海に出かけることが必須であり、18歳の士官候補生はクロンシュタット港を出発した。

 

若き作曲家は、船上でも作曲することができるであろうと望みをつなぐことで、家族に同意したのだった。しかしその環境は、音楽を作曲するのに相応しいものではない。次々に降りかかる任務のため音楽に割く時間はなかったし、船にはピアノや他の楽器のあろうはずもない。また乗組員の誰一人として、音楽に関心のある者はいないようだった。

 

そんな状況の中、航海を始めて数カ月の間、主にイギリスでの長い停泊の間に、彼は交響曲のアンダンテを作曲した。しかしリムスキーの音楽に対する情熱は、徐々に弱まっていく。リムスキーは「音楽は、もはや自分の人生の一部ではない」とすら考えるようになった。

 

遠洋航海は、28ヵ月の間続く。この間にリムスキーは、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国、ブラジル、フランスそしてスペインを訪問していた。

 

航海中、彼は様々な自然、特に海については北半球・赤道付近、南半球それぞれで嵐で荒れたり、穏やかであったりする様子を、また南半球では星を散りばめた満天の空を見る事になる。これらの自然の情景は、彼の記憶に強い印象を残した。単に強い印象を残しただけでなく、彼はその音楽的才能を持って後にこれらを表現する事になる。「管弦楽の錬金術師」と称される、オーケストレーションの達人・リムスキー=コルサコフは、こうして誕生した。

 

1859年からピアノを始め、1861年にバラキレフと出会って、ようやく真剣に作曲に打ち込むようになると、バラキレフはリムスキー=コルサコフが航海演習のない時に作曲の指導をして、励ましてくれた。バラキレフとの出会いによって、後の「五人組」の同人となる他の作曲家とも面識を得た。

 

1871年、それまで音楽や作曲については、独学や「五人組」の仲間内での集団学習だけだったにもかかわらず、ペテルブルク音楽院から作曲と管弦楽法の教授に任命される。その翌年に、作曲家でピアニストのナジェージダ・プルゴリトと結婚。音楽院での最初の数年間は「五人組」時代の知識不足を埋め合わせるために、和声法や対位法について根気強く勉強し続けた。

出典Wikipedia

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