《バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲》
第4楽章のテーマ中の「バクダットの祭」、「海」は、どの物語かはっきりしていませんが「青銅の騎士の物語」は「船乗りシンドバット物語」と共に童話になっている有名な物語です。この物語は『アラビアン・ナイト』の第9夜~第18夜まで続く「荷担ぎ人夫と乙女たちの物語」の中に出てくる片目の僧の話で、青銅の騎士像が建っている大きな岩の近くを通る船が全て吸い寄せられて難破する、という不思議な物語です。
曲は第1楽章と同様、威厳のあるシャリアール王の主題から始まり、それに答えるかのようにヴァイオリン・ソロでシェヘラザードの主題が現れます。そして、すぐに「バクダットの祭り」の部分に入ります。活き活きとしたリズムに乗って奏でられるフルートのメロディは、いかにも祭りの気分をよく表しています。ここでは2/8拍子、6/16拍子、3/8拍子という三重のリズムにより、祭りの雰囲気を上手く描き出しています。
一段落すると、シェヘラザードの主題やシャリアール王の主題が現れ、次の「海」の部分へと移る。ここでは第1楽章の海の主題が再び現れ、次第に激しくなり壮絶な「難破」の場面を描いている。やがて興奮は、潮が引くように静まりかえる。ヴァイオリン・ソロでシェヘラザードの主題が現れ、低音弦にシャリアール王の主題も現れるが、前よりもずっと穏やかな性格になっている。最後に、もう一度シェヘラザードの主題が晴れやかな表情で現れ、静かに全曲を閉じる。
リムスキー=コルサコフは、最晩年に狭心症を患っていた。1908年にリューベンスクにて他界し、サンクトペテルブルクはアレクサンドル・ネフスキー大修道院のティフヴィン墓地に埋葬された。
ナジェージダ未亡人は、余生を亡夫の遺産の管理に捧げた。リムスキー=コルサコフは、7人の子をもうけた。そのうち第5子ナジェージダは、1908年にユダヤ系の作曲家マクシミリアン・シテインベルクと結婚しており、当時リムスキー=コルサコフに作曲の個人指導を受けていたストラヴィンスキーは、管弦楽曲《花火》を2人の結婚記念に捧げている(シテインベルクは、ショスタコーヴィチの恩師としても有名である)
第3子アンドレイは音楽史家・音楽学者で、亡父に関して多くの著作を残した。甥ゲオルギイも作曲家で、当初は微分音に興味があり後にフィルム・シンセサイザーの開発に取り組んだ。
リムスキー=コルサコフは、ロシアの民謡・文学を題材にした作品が多く、華やかだが客観的で簡潔な作風と言われる。管弦楽法の大家として知られ、その理論書である「管弦楽法原理」といった実践理論に関する著作を幾つか残し、中でも和声学の教科書は日本でも広く知られた。
海軍士官としての経験もあることから海の描写を得意としたことでも有名で、歌劇《サトコ》や交響組曲《シェヘラザード》には航海の場面が含まれている。
ムソルグスキーの交響詩《禿山の一夜》や歌劇《ホヴァーンシチナ》、歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》、ボロディンの歌劇《イーゴリ公》など、彼らの死後に残された未完成作品のみならず、生前に完成された作品の補筆・改訂をも行なった。ただしオリジナル作品で、現在では「斬新」、「独創的」とされる部分を「未熟」と判断して、常識的なスタイルに直してしまうような面もあり、これには批判もある。しかし、これらの補筆・改訂が作品の普及に貢献した面があるのは否めない。
卓越した教師として名望があり、なかでも二人の高弟グラズノフとストラヴィンスキーの他、リャードフやアレンスキーなどを輩出した。シベリウスはウィーン留学を考える前は、ペテルブルクでリムスキー=コルサコフに師事したいと望んでいた。伊福部昭の恩師チェレプニンの父ニコライも、リムスキー=コルサコフ門下である。またレスピーギも、若いころロシアで彼に作曲を学んでいる。
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