「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」
と噂されたという。そのため彼の出演する演奏会では聴衆は本気で十字架を切ったり、本当にパガニーニの足が地に着いているか、彼の足元ばかり見ていた観客もいたという。それどころか死後に教会から埋葬を一時拒否すらされ、その遺体は各地を転転とする羽目になったほどである。
彼がヴァイオリンを弾き始めたのは5歳のころからで、13歳になると学ぶべきものがなくなったといわれ、そのころから自作の練習曲で練習していた。それら練習曲はヴァイオリン演奏の新技法、特殊技法を駆使したものと言われる。青年時代には恋愛と賭博を好み、ナポレオン1世の妹のエリーズ・ボナパルトとポーリーヌ・ボナパルトと浮名を流した。賭博では、演奏会の前日に商売道具のヴァイオリンを博打に大負けして取られたことがある。
彼は病弱だったために痩せていて浅黒く、そのことが彼の伝説に貢献した。その上、パガニーニは猛特訓の末に左手が柔軟になっていた。この事が、彼の超絶技巧を可能にした。これは、マルファン症候群によるものという説があるが、パガニーニは中背だった(しかし、絵画等には長身の人物として描かれている)という記録が残っていることから、この説は考えにくいという説がある(ただし、マルファン症候群の罹患者は全て長身と言うのは俗説であり、身長はマルファン症候群と診断する際の必須の条件ではない)
その一方、アイザック・アシモフは、その著書において、悪魔的とまで言われた演奏技術はマルファン症候群特有の指の長さや、関節のなめらかな動きがもたらしたものではないか、とする見方を示している。
作曲家としても活躍しヴァイオリン曲を残したが、極めて速いパッセージのダブルストップ・左手のピチカート・フラジョレット奏法など、どれも高度な技術を必要とする難曲として知られている。
パガニーニは「自筆楽譜」が殆ど残っていないことで知られる。それは、彼が病的なまでに疑り深い人間であり、他人に自分の作品が盗用されることを恐れ、演奏会が終わるとパート譜などを全て回収した上に、パガニーニの死後も遺族がそれらの保存に全く無関心であったため、その大部分が散逸してしまったためである。現在、楽譜の存在が確認されているのは、6曲のコンチェルトとカプリースだけだと言われている。
出典Wikipedia
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