箱根の宿は予約までにかなりの苦労をした挙句、大平台温泉の某旅館に落ち着いた。 シーズンの箱根は、予約を取るのにひと苦労なのだ。新宿から小田急ロマンスカーで、箱根湯本まで行くと箱根登山鉄道に乗り換える。 塔ノ沢を経て大平台で降りた時は、既に夜の闇に包まれていた。
<箱根大平台温泉郷は戦国時代からの古い村落で、温泉地になる前は箱根細工の名産地でした。昭和24年、地元の有志たちによって温泉を掘り当て、今日では箱根十七湯の一つとして知られています。
箱根山のほぼ中腹に位置し、里山の雰囲気を今に残し夏涼しく冬の積雪もまれで、春のしだれ桜・初夏のアジサイ・秋の紅葉と四季を通じて様々な花が咲き乱れ、訪れる観光客のみなさまの目を楽しませています。また、水の美味しさにも定評のある温泉場です>
ちなみに箱根十七湯は、次の通りである。
<箱根温泉は、箱根山一帯に存在する諸温泉の総称で、近世期から明治中期にかけては湯本・塔ノ沢・宮ノ下・堂ヶ島・底倉・木賀・芦之湯の諸温泉が、いわゆる「箱根七湯」と呼ばれていました。最近では、この七湯に大平台・小涌谷・強羅・宮城野・二ノ平・仙石原・姥子・湯ノ花沢・蛸川・芦ノ湖を加えて「箱根十七湯」と呼んでいます。箱根の温泉は総体的に新しく「箱根七湯」と呼ばれた温泉以外は、明治以降の開発となっています>
という事である。この日の宿が、その十七湯あるうちの大平台温泉になったのは、特に選んだわけではなく、まったくの偶然からだった。
宿までは駅から歩いて5分程度だったが、その間に酒屋とコンビ二が一軒あるくらいであり、二車線の狭い車道を通過する車を除けば東京住まいのワタクシにとって、普段は滅多に経験する事のない深い闇があるばかりである。
箱根の山からすれば、まだ中腹よりは下の方のはずだが、さすがに山の中特有の澄み切った冷気が肌を刺し、底冷えのする寒さが感じられる。
ともあれ、宿に到着。まずは食事を済ませ、お目当ての温泉は食後にした。
旅館の温泉は内湯が二つと外湯が一つあり、40分単位の予約制になっているため、フロントのホワイトボードに予約を入れておく。3つの風呂を、総て試してみるつもりであった。
普段からボーっとして過ごすのが嫌いで、常に何かをしていないと気が済まない性分だけに、こうした旅館に来ると食事と風呂以外はまったくやる事がなく退屈で死にそうになるところだが、幸いにしてこの旅館にはインターネットが出来る環境とPCが各部屋に完備されていた。というよりは、それだからこの旅館を選んだのであったが。普段家にいる時のように、食後にインターネットを楽しむ
このような箱根の人里はなれた宿にいて、普段と同じように高速インターネットを不自由なく楽しめるのだから、旅情は少し欠くかもしれないがなんといっても便利な世の中になった、と言うべきであろう。
この旅行の前に、ネットでこの旅館に泊まった人のクチコミを見かけた。そこに「お風呂は素晴らしかったが、料理が冷えていて不満だった」と書いてあった通り、運ばれてきた料理はやや冷えていたが、味の方はまずまずと言ったところか。
ご馳走と旨い酒で腹を満たした後は、ネットを再開。そうして退屈する間もない食後のひと時を過ごして、いよいよお目当ての風呂へ。1泊2万くらいにしては小さな旅館だっただけに、豪華な風呂には期待していなかったが、内風呂は思いのほか小さいのに驚いた。小さいだけでなく何の工夫も情緒もない、ただの真四角の湯船である。しかも、体全体を浸かるのは無理なくらいに湯が異常に熱いから、早々に出た。
露天風呂は、本館の外に創られたログハウス風の小屋になっており、大した距離感はないものの底冷えのする箱根の寒さは堪える。こちらは、湯温はやや温めだ。寝て入るのにちょうどよい湯加減で、こちらはずっとそのまま寝ていたいくらいに気持ちがよかった。室内をブラックライトで照らし、屋根に描いた星座を映し出していたが、なんだか暗くて周囲がよく見えない。個人的には「普通の照明でいいのに」と思ったが、まあまあ気持ちよく楽しめたから、よしとしよう。
宿の仲居から「宮ノ下温泉がいいですよ」と聞いていたこともあったため、翌日は早々に宮ノ下温泉に移動する。駅から歩いて、有名な富士屋ホテルのあの城のような建物を観て
(いつかは、ここに泊まるぞー)
と心に誓いながら、目に付いた底倉温泉に入った。露天風呂は小さかったが、自分以外の入浴客が居なかったのと、目の前に山を借景にした庭園のような自然の風景が広がっており、これはなかなか壮観だった。
再び粗末な小屋のような大平台の駅に戻ると、次は箱根登山鉄道で強羅へ向かう。
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