京都と並んで難解難読地名の多い大阪でも、この手の話題になると「放出」、「喜連瓜破」などとともに、必ず真っ先に出てくるのが淀川区の「十三(じゅうそう)」という地名です。
「十三」という名前自体は、全国どこにでも見られるような条里制の名残だろうと見当は付けやすいところですが、それ以外にも色々な説があるようです。
地名の由来は、摂津国西成郡の南端を一条とし、北へ順次数えると十三条の場所に当たるという条里制に基づく説や、かつて当地に存在した中津川の渡しが淀川の上流から数えて13番目の渡しであったとする説など、諸説存在する。
・条里制説・・・東成郡と西成郡に分かれ、西成郡の起点は現在の阿倍野の飛田でそこを一条とし、北に数えて十三条が今の十三の辺りであるという。もう少し北に行くと、十八条の地名が現存する。
・十三番目の渡し説・・・十三の地名の発祥となった場所は、現在十三と呼ばれている地域よりもやや南に位置した。明治時代初期までの淀川は下流部でいくつもの支流に分かれ、支流の一つとしてこの地には中津川と呼ばれていた川が流れていた。江戸時代までに中津川南岸の成小路村(現在の淀川区新北野付近)と北岸の堀村(現在の淀川区十三本町付近)を結ぶ十三の渡しが設置され、大坂と尼崎・西宮を結ぶ中国街道の一部区間となっていた。成小路村の字として十三の地名があった。>
出典Wikipedia
●ポリネシア語による解釈
<大阪市淀川区の新淀川北岸に、十三の地名があります。慶長10(1605)年の『摂津国絵図』に「十祖」と見え、中津川十三渡しがありました。この「じゅうそう」は、本来は「ツツミ」で中津川の堤防を指すという説があります。この「じゅうそう」は、マオリ語の「チウ・トウ」、TIU-TOU(tiu=swing,north;tou=wet,lower end of anything)、「北(岸)にある湿地」 の転訛と解します>
阪神淡路大震災の時に、NHKのニュースで十三大橋を「じゅうさんおおはし」と読んでいた無知なキャスターがいたらしいですが「十三」という字面の由来は大体わかったが、結局のところ肝心の「じゅうそう」という読みの由来の方はわからなかった・・・
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