2005/12/28

すき焼き(鍋の美味しい季節ですpart1)

 寒い季節は、やはり鍋。作るのも簡単で体も暖まり一石二鳥はおでんも鍋物も同じですが、おでんよりは鍋物が好きなのは肉や魚が好きなせいでしょう。

適度な大きさに切った材料を煮立った鍋にぶち込むだけと手間が要らず、しかも肉や魚、野菜と一度に色々食べられるから栄養バランス的にもよしと、まさにいい事ずくめではないでしょうか。まずは、何はともあれ「鍋の王様」すき焼きから登場していただきましょう。

●すき焼き
「すき焼きなら、うちはしょっちゅうやってるよ・・・今夜も食べたし・・・」という人もいるかもしれませんが、それは「本物のすき焼き」でしょうか?

実はワタクシも、そこそこの大人になるまで「すき焼き」と「寄せ鍋」の区別がつかずに笑われた事がありますが、同じように考えている人は少なくないのではないか。そこで、まずは「すき焼きの定義」から、確認していきましょう。

<一般的なすき焼きは、薄切りにした牛肉が用いられ葱、春菊、椎茸、豆腐などの具材が添えられる。味付けは醤油と砂糖が基本で、生卵を絡めて食べる。しゃぶしゃぶの薄切り肉は、熱湯にくぐらせるだけで食べられるほど薄いが、すき焼きの薄切り肉はしゃぶしゃぶに用いる肉よりも厚い事が多い。

名称の由来は、江戸時代には肉を焼くのに使い古した田畑を耕す農具の鋤を火にかざして使っていたとする説と、肉の薄切りを指すすき身に切って鉄鍋で焼いて食べたことに由来する説がある。

日本では幕末になるまで、仏教の戒律などのため牛肉を食べる事は一般には行われていなかった>
出典Wikipedia

つまり、すき焼きの定義は「牛肉」と「生卵」・・・これが寄せ鍋と一線を画す、ポイントと言えるでしょうか。

<1867年に江戸に牛肉屋が開店し、まもなく牛鍋をだす店も登場した。牛鍋は、文明開化の象徴として流行した。1990年代後半にいわゆる狂牛病と呼ばれるBSEにより狂牛病問題が起き、日本では米国産牛肉の輸入が禁止された。これを受けて牛肉を用いる日本国内の外食産業は、豚肉を用いたメニューを加えた。

尚、横浜にはぶつ切り牛肉を使い、適宜、割り下を注ぎながら濃い味噌だれで炒りつけるように煮る、牛鍋を供する名店がある。幕末期、開港場の横浜では牛肉の煮売り屋台があった。イノシシのボタン鍋の転用で、味噌煮込みであったらしい。明治初期の「牛屋(ぎゅうや)」の牛鍋も、こうした味噌鍋が主流であったと思われる。  先述のぶつ切り牛肉の味噌鍋の店も、こうした牛鍋のプロトタイプの名残りと見る事が出来よう>
出典Wikipedia

 <関東と関西では、その調理法に違いが見られる。関東のすき焼きは、明治に流行した牛鍋がベースになっており、だし汁に醤油・砂糖・みりん・酒などの調味料を混ぜた「割下」をあらかじめ用意しておき、これで牛肉を煮る。関西のものは名前の通り牛肉を「焼く」料理で、焼けたところに調味料を直接加えて味付けをし、割下は用いない。東西の食べ方の境界線は、愛知県豊橋市にあると言われる>
出典Wikipedia

この辺りの記述は、かつてワタクシが読んだ本の説明とは、かなり違っております。

<元々、関西は「松坂牛」、「神戸牛」、「近江牛」など牛肉の産地に恵まれた事もあって、肉と言えば牛肉が主流であり、逆に牛肉の産地には恵まれなかった関東では豚肉を使うのが一般的である。豚肉が当たり前の関東では、牛肉を使っている場合は「牛すき」と言うように「」を謳い文句に入れるが、牛肉が当たり前の関西では「すき焼き」といえば、牛肉が当たり前なのである>

いった記述だったと記憶しています。

そして結論的には高価であり、また牛肉はそれほど好きではないワタクシは、専ら「寄せ鍋派」であります。

ワタクシの生まれ育った愛知県は、食文化に関しては明らかに関西寄りといえますが、オヤジが牛肉嫌いだった事もあって、子供の頃からあまり牛肉を食して来た記憶がありません。したがって、いつも母が「今日は、すき焼き風の煮物にしたよ・・・」と言っていた「風」の意味は、豚肉を使っていた事に由来するのだなと気付いたのは、随分と時が経ってからの事でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿