<箱根登山鉄道は、大正8年(1919年)に開通した、わが国唯一の本格的山岳鉄道である。
鉄道敷設にあたり、自然の景観を損ねることのないように、以下ような多くの配慮がされている。
ü 80パーミル(1000分の80)の勾配・・・1000分の80の勾配というのは1m走る間に、80mmの高さを登る勾配のことだ。つまり12.5m進むだけで、1mもの高さに登ってしまうのである。このような急勾配を車輪の力だけで登るのは、日本では箱根の登山電車だけである。
ü スイッチバック・・・山の傾面を登るため「スイッチバック」という方式を採り入れ、ジグザグに登る。スイッチバックは出山信号場、大平台駅、上大平台信号場の3ヶ所で行ない、そこでは運転士と車掌が入れ替わる。
ü R30の曲線・・・曲線半径30mのカーブ。まるで、直角に折れ曲がるようだ。この急カーブのために、車体の長さは短かくなっている。新幹線は25mあるが、登山鉄道は15m足らずしかない。
この曲線を曲がることができるのも、安全な連結器が取り付けられているからである。
ü 三線軌条・・・「三線軌条」とは、3本のレールを敷き軌道幅の違う2種類の電車を走らせる線路の敷き方である。広い方を登山電車が(標準軌)、狭い方を小田急電車(狭軌)が走る(1本は共用レール)
平成18年3月18日のダイヤ改正で、小田原~箱根湯本間が全列車小田急電車の乗入運行となったため、この日をもって三線軌条は廃止となったが、登山電車の車庫が入生田にあるため、入生田~湯本の1.9kmには現在も三線軌条が残っている。このような三線軌条区間として、日本一の長さを誇る山形新幹線も、この技術を参考に敷設された。他にも小田原~強羅間の13ヶ所、延べ2kmにおよぶトンネルや、26ヶ所の鉄橋を設けていることなども見所である。
出典 https://www.hakonenavi.jp/hakone-tozan/
「箱根の温泉は、強羅から」という意見を何度か耳にした。強羅からというのは湯元から見て強羅よりも先という意味であり、箱根のかなり山深いところに位置する。
<強羅温泉は、明治27年早雲地獄からの引き湯で開発が始まり、明治45年以降温泉付別荘分譲、大正8年箱根湯本~強羅間の登山鉄道開通から、本格的に始まりました。一方、強羅における温泉掘削は、昭和24年に初めて温泉採取に成功。現在の原泉数は46箇所、泉質は3種類の泉質に分類され、最高温度は95℃を持ち、高い温泉ほど食塩成分を含んでいます。
強羅温泉は大涌谷から引き湯した乳白色の温泉(酸性-硫酸塩泉)、早雲山から引き湯した温泉(単純硫黄泉)を中心に、単純温泉、塩化物泉、炭酸水素塩泉など、多種多様の温泉を同一地域内で堪能することの出来る、箱根でも有数の温泉場です>
<明治21年に最初の開発がなされてから20年余り、現在の強羅の町並みに大きな影響を残している。温泉付別荘地としての土地分譲は、明治45年に小田原電気鉄道(株)(現在の箱根登山鉄道(株))によって始まりました>
<箱根登山鉄道の開通を含む別荘地開発は、当時の財界人の一人である三井物産の創立者である益田孝氏が、開発に早くから係っていると言われています。
現在の強羅の強羅公園を中心とした町並みは、この別荘地分譲によって作られたものです。この町並みは、益田孝氏自身の何度もの欧米視察により身についた自然主義感が大きく影響し、実質的な設計は海外の事情に明るい益田孝氏の末弟の益田英作氏と、強羅公園を設計した一色七五郎氏であると考えられています>
<住宅地の中心に公園を配置する、このような町並みはヨーロッパにおいては19世紀の半ば以降盛んになり、日本では明治40年頃から見受けられ、このような強羅の開発は日本の中でも最も早い一例に数えることができる、と言われております>
ヨーロッパ風と言えば、強羅公園である。
<明治時代以降、首都圏南部の別荘地・避暑地として開発されていた箱根・強羅地区に、主に華族など上流階級の親睦・保養施設として、1914年に開園された。当初は、洋風庭園(日本初のフランス式整型庭園)に隣接して和風庭園が設けられていたが、和風庭園はその後、第二次世界大戦中に世界救世教団に譲渡され、現在は箱根美術館の庭園として残されている。
戦後の1957年に有料公園として一般開放され、植物園・体験型工芸施設などが整備された>
出典 Wikipedia
バラ園をバックにした噴水は、いかにも西洋庭園といった風情であり、またバラ園を背にして箱根の山々をバックにしての眺めも、また素晴らしい。
それほど見所があるわけでもなく、広いわけでもないにも関わらず入場料500円は高いと思ったが、景色の良さは抜群だ。ところで、この強羅公園は強羅駅から歩いて10分弱と近いが、ちょっとした山道を登るような凄い坂になっている。公園内の売店で土産を買うと、この坂道を下って強羅駅に戻り、ケーブルカーに乗った。目指すは、大涌谷である。
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