鉄道マニアのドヴォルザークは、プラハのフランツ=ヨゼフという駅に殆ど毎日出かけ、列車の時刻表を全部覚えたり、機関士と話をしたりしていた。また弟子が機関車に乗った時には、どんな種類の列車に乗ったか、その機関車の名称や型式番号は何番だったかなどをしつこく聞き出したらしい。
ドヴォルザークは毎日同じ鉄道を利用しており、その列車が奏でる走行音を楽しんでいた。しかしある日、いつもと微妙に違う走行音が聞こえたため、ドヴォルザークが車掌にその旨を伝えたところ、車両から故障個所が見つかったという。彼が鉄道ファンであることと、音楽家としての鋭い聴力が列車事故を防いだのである。本当ならば、すごい話だ。
ドヴォルザークは、1892年から1895年アメリカのニューヨークに創設されたナショナル音楽院の院長として招かれたが、そこでの生活で悩んだことがあった。それは、近くに鉄道が走っていなかったからだった。しかしながら、彼はそこでの滞在の間、その代わりとして波止場に行って「船」を見ることで、自分の気持ちを満足させていたらしい。アメリカ時代に、故郷のチェコを思いホームシックになった話は有名だが、こんなところもその原因の一つだったか。
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