某羽曳野住人のWebから引用
<羽曳野には、白鳥伝説というものがあります。この白鳥伝説を市はがんがんアピールしているのですが、僕は羽曳野について調べるまで知りませんでした。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)という名前を、日本史などで聞いたことはないでしょうか?
この日本武尊が、羽曳野に伝わる白鳥伝説の主人公であります。
日本武尊は景行天皇の皇子で、武勇の持ち主でした。父である天皇の命令によって、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えみし)を征服しましたが、東国からの帰りに能褒野(のぼの)(三重県亀山市)で力尽きてしまいました。その時に詠んだ歌が
『倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭うるわし』
というもので、結構有名らしいです。
日本武尊は能褒野で葬られましたが、大和に帰りたいという思いから白鳥に姿を変え飛び立ちました。途中、琴弾原(奈良県御所市)を経て、最後に舞い降りた地が旧市邑(ふるいちむら)(羽曳野市)だということが古事記、日本書紀に書き記されているそうです。その白鳥が、羽を曳くように飛び去った・・・という姿から「羽曳野」という名前がついたという事です。
ところで地図で羽曳野市の形を見てみると、羽のような形をしていると思いませんか?
僕は、今まで羽の形をしているから羽曳野だと思っていたのですが、こんな言い伝えがあったとは知りませんでした。それから古市駅の近くに、白鳥神社という神社があります。またそこから西へ行くと、白鳥陵古墳があります。
これは日本武尊伝承の陵といわれていて、三重県亀山市、奈良県御所市にもある御陵とともに『白鳥三陵』と呼ばれています。また、この三つの市で「日本武尊・白鳥伝説三市交流」という事で、歴史・文化を契機とした友好を図り、夢育むまちづくりのため幅広い分野で交流しようという事が行われているようです。
ポリネシア語による解釈
羽曳野市は大阪府南東部の市で、東部は二上(にじょう)山の北西斜面、西部は羽曳野丘陵、中央部は大和川の支流石川の河谷平野です。難波と飛鳥を結ぶ、竹内街道が東高野街道(国道170号線)と交わるところに、中心集落の古市があります。付近には応神陵、清寧陵、安閑陵、日本武尊陵と伝えられる巨大な前方後円墳が密集する、古市古墳群があります。
この「はびき」は、マオリ語の「パピ・キ」、PAPI-KI(papi=ooze,leak;ki=full,very)、「至る所から水が滲み出す(場所)」の転訛と解します。
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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