2006/10/05

ストラヴィンスキー バレエ音楽『春の祭典』(2)

 


この曲の初演を振ったフランスの有名指揮者モントゥーが、ストラヴィンスキーから最初にピアノでこの曲を聴かされた時に

「ただの一音符さえ、理解できなかった」

と言ったのは有名な話である。

 

初演にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどの錚々たる顔ぶれが揃っていた。曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。そして始まったダンサーたちの踊りは、腰を曲げ、首をかしげたまま回ったり飛び上がるという、従来のバレエにはない振付であった。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合りあい野次や足踏みなどで音楽が殆ど聴こえなくなり、ついにはニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。

 

ディアギレフは照明の点滅を指示し、指揮していたモントゥーが観客に対して

「とにかく最後まで聴いて下さい」

と叫んだほどだった。

ストラヴィンスキーは自伝の中で

「不愉快極まる示威は次第に高くなり、やがて恐るべき喧騒に発展した」

と回顧している。

 

有名なこの初演時のエピソードだが、西洋クラシック音楽において初演時に騒動が起きたことは、特にこの曲に限ったことではない。他に近代の曲では、シェーンベルクの弦楽四重奏曲2番でも、初演時に大騒動になった記録が残っている。また指揮者の岩城宏之は、ヨーロッパで聴きにいった現代音楽の演奏会で何度か、聴衆間で怒声が飛び交う事態になったことがあるとエッセイに記している。

 

当時の新聞には「春の虐殺」(Le "massacre" du Printemps)という見出しまでが躍った。サン=サーンスは冒頭を聞いた段階で

「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」

といって席を立ったと伝えられる。

 

しかし翌年の演奏会形式での再演では大成功を収めて評価を確立し、ロンドンやニューヨークでも高い評価を得ることとなった。

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