輪王寺の堂塔は1か所にまとまっておらず、日光山内の各所に点在している。東照宮の南方の境内には本堂の三仏堂や寺務所があり、ここには本坊表門、護法天堂、相輪橖(そうりんとう)などがある。二荒山神社西側には大猷院霊廟の建築群があり、その南側には常行堂と法華堂、そこから長い石段を上った先には中興の祖・天海を祀る慈眼堂がある。勝道を祀る開山堂は東照宮北方、滝尾神社への参道の途中にある。
このほか、神橋近くの二荒山神社本宮に隣接した四本龍寺の旧地には、観音堂と三重塔があり、少し離れて児玉堂がある。中禅寺湖畔の中禅寺(立木観音)も輪王寺に所属している。
日光山 総本堂
三仏堂(さんぶつどう)
【重要文化財 世界遺産】
輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。三仏堂の前には、推定樹齢500年という、天然記念物に指定されている「金剛桜」が植えられています。
「輪王寺宝物殿」(りんのうじほうもつでん)は、1230年を越える日光山の歴史を物語る歴史的・美術的価値の高い資料(以下、什宝)を保存・研究し、ご参拝の皆様へ公開することを目的として建設され、昭和57年落成、翌58年(1983)に開館した鉄筋コンクリート2階建ての施設です
収蔵庫には、国宝1件・59点、重要文化財49件・1616点、重要美術品4件・7点を含め、日光山1230年余りの歴史を物語る約3万点の什宝を収蔵、常時50点ほどを拝観室に展示しております。
また平成15年11月13日より、德川記念財団の特別協力館として、御宗家に伝来する初代家康公以来の貴重な宝物の常設展示も併せて行っております。
また、この宝物殿に隣接して、江戸時代の日本庭園「逍遥園」(しょうようえん)があり、宝物殿へご来館の方は、どなたも入園できます。小規模ながら、苔むした池泉回遊式の園内には、春はシャクナゲ、ツツジ、サツキ。また秋の紅葉と、四季を通じて様々な風情が楽しめます。
日光連山の男体山(なんたいさん)や女峰山(にょほうさん)の山頂からは、古代祭祀(さいし)が行われていたと思われる遺物が多数出土しています。仏教徒である勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開山されたのは奈良時代のこと。
弘法大師空海(くうかい)撰(せん)による『性霊集(しょうりょうしゅう)』の「沙門勝道歴山水瑩玄珠碑并序(しゃもんしょうどうさんすいをへげんじゅをみがくのひならびにじょ)」によると、天平神護(てんぴょうじんご)2年(766)、沙門勝道が補陀洛山(ふだらくさん)(男体山)の登頂を志し、大谷川(だいやがわ)の激流を渡って小さいお堂を建てました。後の四本龍寺(しほんりゅうじ)であり、輪王寺の発祥です。
その後、勝道上人は16年の歳月をかけて男体山登頂を果たし、その後、補陀洛山中腹の湖(中禅寺湖)湖畔に神宮寺を創建、社殿を建立しました。中禅寺と二荒山神社(ふたらさんじんしゃ)中宮祠(ちゅうぐうし)の発祥です。
また上人晩年である弘仁(こうにん)7年(816)には、補陀洛山頂に二荒山三所権現(さんじょごんげん)を勧請しました。日光三所権現の起源です。
こうして日光山は、平安時代には神仏習合の霊地として信仰されるようになりました。神仏習合とは、日本古来の神が大陸伝来の仏教の仏と共存する、日本独特の宗教形態です。
通常一つの宗教は他の宗教を排除しようとし、複数の宗教が同時に信仰されることはあまりありません。初詣は神社にお参りし(神道)、バレンタインデーやクリスマスを祝い(キリスト教)、お葬式はお寺で(仏教)というように、同時に複数の宗教を認め信仰するという現代日本人の宗教観は、平安の昔から宗教に対して寛容であった日本人の気質なのです。
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