世に言う「三大ヴァイオリン協奏曲」とは
王様:ベートーヴェン『ニ長調』
女王:メンデルスゾーン『ホ短調』
ブラームス『ニ長調』
ここに、チャイコフスキーの『ニ長調』を加えて「四大ヴァイオリン協奏曲」と称される場合もある(ただしドイツ圏では、ブルッフの『第1番』が入る)
ちなみに「四大ピアノ協奏曲」はといえば
・ベートーヴェン『第5番・変ホ長調(皇帝)』
・チャイコフスキー『第1番・変ロ短調』
・グリーグ『イ短調』
・シューマン『イ短調』
で、場合によってはベートーヴェンの『第5番(皇帝)』を別格官幣大社として棚上げし、ラフマニノフ『第2番・変ロ短調』が入る事もある。
この2つを見て解るとおり、両方にエントリーされているのはどちらも「王様」として扱われているベートーヴェンを別格とすれば、実はチャイコフスキーのみで、この辺りは「エンターテイナー・チャイコフスキー」の面目躍如といったところだ。
ところが不思議な事に、この曲も以前に紹介した『ピアノ協奏曲第1番』と同様の、珍奇な運命を辿る事になる。
この3年ほど前、パリでサラサーテが演奏するラロの「スペイン交響曲」を聞いたチャイコフスキーは、民族的な題材によるヴァイオリン協奏曲を作りたいと考えていた。その後「不幸な結婚」の破綻によって深く傷ついたチャイコフスキーは、その精神的なダメージから立ち直るためスイスに滞在していたが、レマン湖畔のクラランでの滞在中にヴァイオリン協奏曲に取りかかった。
ちょうどロシアから、友人のヴァイオリニストのコチュークが来ていたこと、またチャイコフスキー自身がそれほどヴァイオリンに詳しくなかったため、ここで奏法についての助言を得られたことは大きかった。
曲は1ヶ月ほどで完成し、高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をしたものの、スコアを見たアウアーから「演奏不能」として突き返されてしまった。
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