この交響曲は各楽章の標題も準備され、基本的な設計図のようなものも用意されていたようなのですが、おそらくそれでは「交響詩」の作曲家というポジションからは抜け出せないと判断したのでしょう。ですから、この第1番の交響曲は、その準備されていた「標題交響曲」のリフォームではなくて、全く新しく書かれたものなのです。
当初は、その仕事をベルリンで行おうとしたのですが、悪い友達の誘いを断り切れない弱さもあって、うまく進まなかったようです。そこで、結局はフィンランドに戻り、フィンランドの田舎を転々としながら、1899年に完成にこぎ着けます。
そして、その出来上がった作品は、明らかにチャイコフスキーからの影響を受けています。冒頭のクラリネットの旋律が、最終楽章のフィナーレで華々しく帰ってくるところなどは、まさしくチャイコフスキーの5番を思い出させます。
初期の作品は、どれをとっても旋律線が気持ちよく横にのびていきます。この息の長い静かな旋律線こそが、若い頃のシベリスの特徴であり魅力でした。こういう息の長い旋律で音楽を作っていくのは、チャイコフスキーやボロディンの音楽から学んだものであることは間違いないでしょう。
しかし、その響きは今までの誰からも聞かれなかったシベリウス独特の硬質感があります。そのひんやりとした手触りは、まがうことなく北欧の空気を感じさせてくれます。聞けば分かるように、チャイコフスキーの響きはもっと軟質です。
ですから、シベリウスはチャイコフスキーの亜流としてではなく、強い影響を受けながらも、最初からシベリウスならではの特徴を十分に発揮しているのです。彼独特の響きを駆使して、伸びやかに思う存分に音楽を歌い上げているのは、聞いていて本当に気持ちが良いのです。
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