2004/10/03

明石の伝説

 兵庫県には神戸の他にも、おもろい地名が沢山あります。そこで今回は、お隣の明石市へと由来の旅に出ることにしましょう。

《『明石』という地名の語源の由来が、昔話により残されています。昔々、明石の北にある雄岡山・雌岡山に狩人の夫婦が住んでいました。夫の狩人はある時、小豆島に住む美しい女の人に恋をしてしまいました。それからは殆ど毎日のように、大ジカの背にまたがって海を渡り、小豆島の女の人のところへ通い続けていました。

狩人の妻は、こうした夫の姿をみて悲しい思いの毎日を過ごしていましたが、ある夜、不吉な夢を見ました。夫が死ぬ夢です。そこで、夫がいつものように大ジカに跨って出かけようとした時

「もう小豆島へは行かないでください。そうでないと恐ろしい災難に出会います」

と、必死になって止めました。しかし夫は慕う心を抑えきれず、妻の願いを振り切ってとうとう大ジカに乗って出かけてしまいました。青い海に、白波をたてて泳ぐシカ。ちょうど林崎の沖合いまできた時、丘の上にいた狩人が大ジカを見つけ弓に矢をつがえて射放ちました。

ヒューッ!

風を切って飛んだ矢は、あっと言う間に大ジカに当たり、雄岡山の狩人も一緒に溺れて死んでしまいました。妻の不吉な夢は、正夢だったのです。この死んだ大ジカの血が赤石となって、東松江と西松江の間の浜から十五、六メートルほど沖の海中に沈み、ここから「あかし」の地名が起こったと信じられています。  


《明石は元々、赤石と言う字を当てており大化の改新の詔では、畿内の西端を"赤石の櫛淵"とも定めていました。また古くから瀬戸内海上交通の要衝でもあり、明石原人。明石象、明石焼き、そして子午線の通る町としても有名です》

●ポリネシア語による解釈
兵庫県南部の明石海峡に臨む市で大阪湾への入り口、淡路島を経て四国への連絡路として交通の要衝です。明石海峡をまたぐ世界最長の吊橋、明石海峡大橋が神戸市舞子と津名郡淡路町岩屋の間に架かっています。

あかし」は、『日本書紀』神功紀摂政元年2月の条に「赤石」と記され

(1)
市内松江と林の沖合の海底にある赤石による
(2)
アイヌ語で「潮流のある所」の意
(3)
「アケ(明)し」で海峡が西に開けているから

などとする説があります。

「あかし」は、マオリ語の「ア・カチ」、A-KATI(a=the...of;kati=block up,shut of a passage,barrier)、「通路を塞ぐ位置にある(場所)」の転訛と解します。舞子の「まいこ」は

(1)
千姿万態の松の姿から
(2)
在原行平や平清盛が舞子を踊らせた事による

という説があります。

「まいこ」は、マオリ語の「コ・マイ」、KO-MAI(the near side)、「(淡路島に)近い場所」の転訛(語順が逆転した)と解します。岩屋の「いわや」は、マオリ語の  「イ・ワイア」、I-WHAIA(i=beside;whaia=whai=follow,look for;aim at)、「(淡路島に渡る)目標の場所一帯」の転訛と解します。

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