2004/10/22

サラの悲劇

 『A高』のあるA市は、人口約10万を超える近郊の市町村では有数の都市である。したがって、地域では名の通った進学高『A高』へは、A市の学生ばかりでなく学校区の数市町村から、選りすぐりの精鋭が集まって来ると言われた。

A市から遥かに離れた郊外にあるL町、私鉄電車の終着駅からさらに自転車が必要な田舎町に住むサラも、そのうちの1人だった。地元の小・中学校では、一人稀に見るようなずば抜けた成績でトップに君臨し続け「神童」と皆から尊敬されていたらしい。言ってみれば、かの地におけるにゃべのような存在であった、という事だ(もっともサラの場合は、かの「神童」の如くにスポーツやルックスを含めた「三拍子」揃うようなタイプとは、まったく程遠くはあったが)

学区で最も田舎のL町では、通常であれば優秀な学生は町にあるL高校へ進学するのだが(そのまま進学せずに、猟師や百姓になるのも少なくなかった)、特に優秀な生徒は電車で1時間近くかけて、遥々『A高』へと入学してくるのである。

神童サラ」も勿論、そのクチで「(公立では県内最底辺クラスの)地元L高校では、あまりに惜しい逸材」と、この年ただ一人、教師らの強い勧めでL町から(偏差値67の)『A高』への入学者となっていた。

田舎では、近所の皆が親戚づきあいのようなところがあるため、ややオーバーに言うなら秀才サラは一族郎党ばかりか、L町学校関係者らの希望の星であったろう。

「天才サラなら、名高い『A高』でもトップになれるじゃろ。ゆくゆくは、東大進学じゃ!」

とL町教育関係者は、何の疑いもなくそう信じていたらしい。勿論、L町から一歩も出たことのない「井の中の蛙」のサラ自身も、似たような思いだったと思われた。しかしながら、世間は広い。この「サラ!」と皆から親しまれていた、陽気で愛すべき田舎モノが世間の厳しさ、都会(と言っても大した都会ではないが)の恐さを身をもって体験するには『A高』入学後、僅か数ヶ月もあれば充分過ぎるほどだった。

『A高』におけるサラの順位はといえば、トップなどは夢のまた夢。

「いやー、初回のテストはショックだったぜ・・・300番だぜ!
中学まではトップしか取った事のなかった、このオレが300番だぞ・・・あの時は1週間くらいは、立ち直れなかったよ。その後も、どう頑張っても大してあがらねーしさ。どーなってんの、これ?」

地域格差は歴然で、同じような例は幾らもあったようだが、このサラのは最も極端な例だ。L町の隣町で、L町に次ぐ田舎のK町から推薦で入学して来た聖子というがり勉女子が、常に30番前後に位置していたのは例外的なケースで、総じて田舎の中学出身の学生は下位に位置するケースが殆どだった。口さがない、にゃべやゴトーなどを始め

(あれで神童とは一体、どんなレベルなんだ・・・?)

などと、蔭で笑いものにされているとは、ツユ知らぬサラ。本人にとっては考えもしなかった、まさかの悪夢に頭を抱える日々であった ( ̄▽ ̄;)!!ガーン

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