18年間住み慣れた故郷を離れ、京都の住人となったにゃべ。1200年の都・京都の町は、さすがに筆舌に尽くし難い独特の雰囲気があった。
環境適応能力には密かに自信を持っていたとはいえ、この古い街並みや狭い道路、そしてなにより至る所に鎮座まします寺社仏閣の化け物のような巨大な建築群の数々には、さすがに面食らう日々の連続であったのも無理はない。故郷は、こうした大建築群というものには縁のない土地柄だった事もあり、休日に近所をそぞろ歩きするだけでも、彼方此方で目にする五重塔や三重搭が「あたかも当然のようなデカい顔をして(?)」町に溶け込んでいるのは、なんとも不思議な感じがした。
が、次第にそんな光景にも慣れてくると、さすがに血は争えぬか京の街並みの美しさが胸に迫ってくるようになり、しばしば感動を覚えるのであった。
わけても京都の町のど真ん中に鎮座ましましている、あの京都御所(御苑)の道路を挟んだ真向かいに大学・中学・女子中・女子高・女子大がズラリ一堂に並んだ、あの某学校法人の赤レンガ建築群の偉容は「京都御所」と対をなす点からも強烈なインパクトであり、また日本に冠たる国立大のオンボロ校舎とは至って対照的なことも手伝ってか、感動を覚えるほどに壮観であった。
もっとも実生活に入れば、これがそう感動してばかりもいられない。なかでも日常生活において最も困ったのが、あの京の町独特の住所表記だ。「上ル」、「下ル」、「東入ル」、「西入ル」といった、あの符丁のような表記にくわえ、狭いところにゴタゴタと商店や家が立ち並んでいるのに慣れるまでに、かなりの時間を要した。
が、最も苦心したのが、言うまでもなく方言だ。故郷は愛知県でも名古屋弁の影響はそれほどはない土地柄だったが、当然ながら京都人は例外なく関西弁だ。これまで関西弁といえば、TVのお笑い芸人くらいしか縁のなかったにゃべにとって、巷に溢れる関西弁を訊くと町行く人が皆、お笑い芸人のような感じがしたものだった。また年配者の、いわゆる純・京都弁は関西弁とはまた違って理解不能の言葉が多く、何を言っているのかわからないケースもあったりして
(これで4年間、不自由なく暮らしていけるんだろうか?)
などと心配になったりもした。
さらには、1年通してどこへ行っても観光客でごった返す京都だけに、市バスはいつも満員だった。バス嫌いな自分としては地下鉄や鉄道などを利用したいところだが、生憎と鉄道網があまり発達していない。で、仕方なくバスで移動するしかないのだが、ただでさえ入り組みすぎてわかりにくい系統や路線が益々頭の中でパニックをきたし、急遽格安で中古のスカGを購入する事に。
そんな波乱含みの中、とにもかくにもキャンパスライフはスタートした。
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