2005/06/18

虎姫と伊吹山

 滋賀県東浅井郡に「虎姫」という、一風変わった地名があります。

■虎御前と世々開長者(せせらぎちょうじゃ)の物語
町名の由来ともなった虎御前が出会った長者は、中野に住む世々開(せせらぎ)という若者で、琵琶湖で手広く海運業を営む商家の主人であった。2人の間に産まれた15人の子供は、なんと顔以外はすべて鱗(うろこ)に覆われた小蛇であった。

ある月夜の晩に、ふらりと池のそばまでやって来た虎御前が見たものは、淵に映し出された蛇そのものの自分の姿であった。嘆き悲しんだ虎御前は、そのまま池に身を投げてしまった。後に残された世々開は、悲しみながらも15人の子どもを立派に育て上げた。

不思議な事に、子どもたちは成長するにつれて蛇身が少しずつ人間らしくなっていき、成人する頃には人間とまるで変わらぬ容姿になった。世々開長者は子どもたち一人一人に、その辺りの15の土地を一ヶ所ずつ分け与え治めさせたという事である》

《虎姫の町から見る伊吹山は、南から見る男性的な伊吹山とは違い「姫伊吹」と呼ばれる通り、まことに優しい姿である》

とあります。

ところで伊吹山といえば、古事記の英雄・ヤマトタケルノミコト終焉の地として知られています。

伊吹山1379m)は、滋賀県と岐阜県の県境を南北に延びる伊吹山地の主峰(滋賀県の最高峰)で、古生代石灰岩からなる山です。西側と南側は、敦賀湾・伊勢湾構造線の一部の柳ケ瀬断層が通って地塁山地をなし、西側を姉川の谷が刻み、南側は関ヶ原地峡部に対して伊吹山断層崖が臨んでいます。山麓に針葉樹林がみられる他は全山が草原で、山頂付近にはカルスト地形がみられ、全体として丸みを帯びた山です。

伊吹山は、古くから知られた山で『古事記』景行天皇の条には、倭建命と伊服岐能山の神の記事が見え『日本書紀』景行紀40年是歳の条に

「近江の五十葺山に荒ぶる神有ることを聞きたまひて・・・膽吹山に至る」

と見え『延喜式』には近江国坂田郡に伊夫岐神社、美濃国不破郡に伊富岐神社の名が記されています。

奈良時代には、役行者開創の山岳仏教の聖地となっています。

この「いぶき」は

(1)
全山石灰岩であるところから岩城(いわき)山の転
(2)
「イ(接頭語)・フキ(吹く)」で山の気象が常に荒ぶる風を起こす山の意
(3)
「息吹」で鉱石を吹き分けて金属を精錬することを意味する

とする説などがあります。

この「いふき(いぶき)」は、マオリ語の「イ・フキ」、I-HUKI(i=past time;huki=spit,avenge death)、「(伊吹山の神がヤマトタケルに侮辱されたため)報復して殺し・た(山)」、または「イ・プキ」、I-PUKI(i=past time;(Hawaii)puki=to pull back as an unruly horse)、「(暴れ馬を引き止めるようにヤマトタケルの)猛進を押し止め・た(山)」、または「イ・プフキ」、I-PUHUKI(i=past time;puhuki=blunt,dull)、「角がなく・なった(丸みを帯びている。山)」(「プフキ」のH音が脱落して「プキ」となった)の転訛と解します。
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

0 件のコメント:

コメントを投稿