※グリモーの端正なピアニズムは教科書のようで、やや面白みには欠けるが素晴らしいことは間違いない。
※アバド/ルツェルン・フェスティバル・オーケストラ 画質、音質とも推奨。しかし、アバド老けたねw
※ワイセンベルク(pf) カラヤン/ベルリン・フィル
ピアノが埋もれてしまうような、ド派手なオーケストラにストレスも吹っ飛ぶw
「ピアノ協奏曲なのだから、ピアノが主役でなければ」という意見もあろうが、聴いての通りこの曲のフィナーレはオーケストラに主旋律を歌わせ、ピアノは伴奏に回っているのだから、これが正しい。
カラヤンのオーケストラの歌わせ方が素晴らしく、圧倒的な魅力と迫力は感動的だ。しかし・・・何度観てもこれだけオーケストラに溶け込んでいるような、こんなに指揮姿のカッコ良い人はいないw
※リヒテル(pf)/ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
オーケストラがイマイチしょぼく画像もつまらないが、巨匠リヒテルのピアノがオーケストラを圧倒する存在感を放つ。リヒテルも「12度程度を楽に押せた」という、ラフマニノフに負けない巨大な手の持ち主だったと伝わる。ラストは、音符が空から降ってくるような夢幻的な素晴らしさであり「オケよりもピアノが」という人には、こちらを推奨する。
最初に聞こえるホ長調の旋律は、循環形式によって第1楽章から引き出されている。その後の主たる楽想は明確な2つの対照的な主題を持ちながらも、前楽章で用いられたモチーフを断片的に使ったり二つの主題を融合するなど、既存の形式にこだわらない自由な書法で書かれている。副主題を持つ変奏曲、あるいは変則的なロンドとも解釈できよう。
ラフマニノフは、1895年に交響曲第1番を完成させた。2年後の1897年には、グラズノフの指揮によりペテルブルクで初演されたが、これは記録的な大失敗に終わった。特に五人組のキュイが「エジプトの七つの苦悩」に喩えて、容赦なくこき下ろしたのはよく知られている。
この曲はラフマニノフの存命中は、二度と演奏されることはなかった。失敗の原因として、グラズノフの指揮が放漫でオーケストラをまとめ切れていなかったという可能性を指摘されている。サーチン家の人々は「この時、グラズノフは酒に酔っていた」と証言している。
作曲家の身内による証言であることを割り引いて考える必要はあるが、グラズノフの普段の素行からして、あり得ないことではないとも言われる。
この失敗により、ラフマニノフは神経衰弱ならびに完全な自信喪失となり、殆ど作曲ができない状態に陥ってしまった。この間、彼はオペラの第二指揮者に就任し演奏活動に勤しみ、シャリアピンと知り合い生涯の友情を結ぶ。シャリアピンの結婚式では、介添人の一人として立ち会った。
この頃、彼の落胆を心配した知人の仲介により、トルストイと会見する機会に恵まれた。ラフマニノフは、シャリャーピンを伴ってトルストイの自宅を訪ね、交響曲第1番の初演以降に作曲した数少ない作品の一つである、歌曲「運命」を披露した。しかし、このベートーヴェンの交響曲第5番に基づく作品は老作家の不興を買い、ラフマニノフはさらに深く傷つくことになってしまった。
出典Wikipedia
世に言われる四大ピアノ協奏曲の中で、この曲は最も年代が新しいこともあって格段に複雑な構成となっているが、古今の数あるピアノ協奏曲の中でも、個人的には最も好きな曲と言えるかもしれない。特に、このフィナーレは「人類の遺産」といっても過言ではない傑作だ。
ド派手だが感動的なオーケストラの歌と、それに負けじと立ち向かうようなピアノの競演が美しさの極みで、まことに豪華なシャンデリアのような煌びやかな輝きを放っている。濃厚なロシア的抒情と強靭なピアニズムを感じさせるこのピアノ協奏曲は、映画音楽としてもよく使われる。
ラフマニノフの音楽を「映画音楽のようだ」と称することがあるが、これは逆で、映画音楽の方がラフマニノフの真似をしたのだ。
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