ハイドンは生涯の大半はエステルハージ家に仕えていて、そのために作られた曲もかなりある。この時、他の音楽家との交流や流行の音楽との接触があまり無かったため、徐々に独創的な音楽家になっていった。
エステルハージ候の死により、事実上自由の身となってウィーンに出てきたハイドンに「イギリスで演奏会をしませんか」と持ちかけてきたのが、ペーター・ザロモンだ。彼はロンドンにおいて、ザロモン・コンサートなる定期演奏会を開催していた興行主である。
当時のロンドンでは、彼の演奏会とプロフェッショナル・コンサートという演奏会が、激しい競争状態にあった。そして、その競争相手であるプロフェッショナル・コンサートは、エステルハージ候が存命中にもハイドンの招聘を何度も願い出ていた。しかし、エステルハージ候がその依頼には頑としてイエスと言わなかったために、やむなく別の人物を指揮者として招いて演奏会を行っていた、という経緯があった。
それだけに、ザロモンはエステルハージ候の死を知ると素早く行動を開始し、破格とも言えるギャランティでハイドンを口説き落とした。そのギャラとは、伝えられるところによると
「新作の交響曲に対して、それぞれ一曲あたり300ポンド、それらの指揮に対して120ポンド」
等々だったと言われる。
ハイドンが、30年にわたってエステルハ-ジ家に仕えることで貯蓄できたお金は200ポンドだったと言われるだけに、まさに「破格」の提示である。
出典http://www.yung.jp/yungdb/mobile.php
ところで、この曲のサブタイトルの由来となった第2楽章で軍楽太鼓やシンバル、トライアングルといった打楽器が派手な活躍をするところが「下品」だとする意見もあるが、続く第3楽章のメヌエット&トリオは対照的に実に優雅である。
有名な第94番『驚愕』は第3楽章がややつまらない気がするが、この『軍隊』の第3楽章はなかなかチャーミングと言える。
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