2005/06/16

誤算 ( ̄_ ̄;)

  こんなはずではなかった・・・

 

京都でバラ色のキャンパスライフを送る予定だった、にゃべ。が、入学後半月にして、早くも理想と現実のギャップを嫌というほど味あわされる羽目になろうとは・・・


 入学前、にゃべが密かに描いていた「バラ色のキャンパスライフ」は、凡そ以下のような感じであった。


・美しい女学生に囲まれる
・愉快な男友達に囲まれる
・快適かつ楽しい都会での一人暮らし
・スカGでドライブ


 当初描いていたこれらの青写真に対し、現実はどうだったか?


・入学一ヶ月のこの時点では、美しい女学生らに「囲まれる」どころか親しくなった女学生は皆無の状況。

 

地元の田舎にいてこそ「X大」に入る頭脳と言うだけでも尊敬を集めたものだが、いざ『X大』に入ってしまった後は、当然ながら周りは同じような人間の集まりだけにモテる要素にはなりえない。これこそが最大の誤算であった。


・関西弁の壁
 女学生もそうだが、これはなんと言っても「関西弁という言葉の壁」に阻まれていた要素が、最も大きかった。ややオーバーに言うなら、外国に来たようなものだった。

 

元来、人見知りとは無縁の性質ではあったが、周りを慣れない関西弁ばかりに取り囲またカルチャーショックは強く、なんとなく会話に加わり難い。仮に強引に割り込んでいっても、方言の違いから「よそ者」として冷淡にあしらわれた幾多の経験から、益々孤独を深めていた。


・「都会」というのは、単純に人口10万前後の地元A市に対し「140万の京都市」というイメージから来たものだったが、現実はマンションのある土地に関しては、京都では外れの方に位置するだけに、都会のイメージとはかけ離れていた。近くに昔ながらの商店街はあったが、利便性と言う意味では前に住んでいた実家の方が、ホームセンターなど大型店などがあった分だけ便利だった気がする。


 考えてみれば人口140万と言っても、あれだけ広い京都市内全体での話であり、京都駅周辺などの中心部は確かに名古屋にも匹敵する規模の都会ではあったが、その他の一部地域を除けば全体的には、それほど都会という感じもなさそうだった。


 また一人暮らしに関しては、幼いころからの念願が叶ったのは事実で、確かに煩い家族から開放されたのは嬉しかったが、実家にいた頃は一人暮らしの良い面ばかりを見ていた。それだけに実際には、案外と色々大変なものだと実感する事が多かった(特に食事や洗濯など)


 また一人暮らしへの憧れとして、気ままに女友達を連れ込んで楽しめるといったようなテレビや漫画のような期待があったが、現実は先に述べたように女友達はおろか男友達さえ一人も居ないという壊滅状況だったから、こうなってみると見知らぬ土地で家族から離れ、一人暮らしの寂しさばかりが身に沁みる。


 ホームシックまでは行かないものの、この時初めてあれほど離れたかった地元や実家、そして家族にも案外と良い面がある事に気が付いた。


・高校生までに、お年玉や小遣いをコツコツと貯めて来た貯金と、母からの支援により手に入れたターボ搭載スカGの乗り心地は(中古とはいえ)まずまずだったが、なにせ若葉マークにあの京都の狭い道路だから、慣れるまではとても「洛中ドライブ」などと洒落こむような余裕とてない。前後左右からクラクションの雨を浴びながらも、なんとか京都の町と愛車に慣れようという日々だった。

 

おおよそこんな調子で、入学1ヶ月近くの現実は脳裏に描いていたバラ色のキャンパスライフにはまったくかけ離れた、灰色の日々を送っていたというのが実態だった。


 キャンパスライフを満喫しているような、周囲の関西学生を眼にする度に


 (こんな事なら、素直に地元の大学に行っておくんだったか・・・そうすれば連中のように、デカイ顔が出来ただろうに・・・)


 などと、つまらない後悔の念に苛まれる日々が続く。

 

なにせ友達が出来ないのでは、キャンパスライフが悲惨なものになるのは、まず間違いがない。特に自分と同じ様に、地方都市から出て来て一人暮らしをしている身で何もする事がなく、幸福に満ち溢れているような巷の喧騒を尻目に早々に逃げるように家に帰っても、そこには誰もいないのだ。待っているのは、ただ「寂寥」という静寂のみである (-ω-#)y-~~~~


 (冷たい隙間風に吹かれた部屋で、冷え切った心を狂おしい嫉妬心でいくら身を焼いたところでどうなるものでなく、膝を抱えて寂しく黄昏ているいるのが関の山、といったところなのだ・・・)


 といった話をよく耳にはしていたが、よもや自らにそのような悲惨な現実が待っていようなどとは、夢にも思うわけがなかった。


 それでも、学生の本分たる勉学に励む向上心があればまだ救いがあるが、言うまでもなく勉強嫌いの代表選手として、ハナから「バラ色のキャンパスライフ」しか描いていなかった自分にはあり得ない話であるし、また1年時の授業が面白みのない教養課程という助走期間でしかないこともあって、そもそも興味を惹かれる内容でもなかった。


 小学校から高校まで常に持て囃され続けて来ただけに、舞台が京都に変れどこれほどの激変が自らに起こるとは、考えてもみなかったのである。


 (イカン、このままでは本当に、地獄のキャンパスライフに一直線じゃないか・・・何とかしないと、本当にいい笑いもののまま終わってしまうぞ・・・)


 と次第に焦りを覚えつつ、どうにか現状打破への糸口を掴み取らんと、生まれて初めて体験する思わぬ四面楚歌の状況に置かれ、必死にもがき続けるのであった。

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