1872年に着手し、1873年に初稿(第1稿または1873年稿)が完成した。
初稿執筆の最中の1873年、ブルックナーはワーグナーに面会し、この第3交響曲の初稿(終楽章が未完成の状態の草稿)と、前作交響曲第2番の両方の総譜を見せ、どちらかを献呈したいと申し出た。ワーグナーは第3交響曲の方に興味を示し、献呈を受け容れた。この初稿により1875年、ヘルベック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演が計画されたが、リハーサルでオーケストラが「演奏不可能」と判断し、初演は見送られた。1876年(交響曲第5番作曲の時期)、ブルックナーはこの曲の大幅改訂を試み、1877年に完成した(第2稿、または1877年稿)
音楽評論家の吉田秀和氏が、50年代に初めてヨーロッパを訪れた時のことについて
「今のヨーロッパで聴くべきものは何か」と尋ねると、その人は
「まず何はおいても、クナッパーツブッシュのワーグナーとブルックナーは聴くべきだ」
と答えた。そこで、早速にクナが振るブルックナーを聞いてみると、これがまたえらく単純な音楽が延々と続く。とりわけスケルツォ楽章では、単調極まる三拍子の音楽が延々と続くため、さすがに呆れて居眠りをしてしまった。ところが再び深い眠りから覚めても、まだ同じスケルツォ楽章が演奏されていたので、すっかり恐れ入ってしまったという。そして、その事をくだんの人に正直に打ち明けると、その人は
「日本人にはベートーヴェンやブラームスが精一杯で、ブルックナーはまだ無理だろう」
と言われた。
50年という時の流れを感じさせる話だが、ことほど左様にブルックナーの音楽を日本人が受容するというのは難しいことだった。いや歴史を振り返ってみれば、ヨーロッパの人間だってブルックナーを受容するのは難しかったのだ。
ブルックナー事典(4)
オルガンの響きのように「力強く抉る」とも表現される、オーケストラ全体による重厚な「ブルックナー・ユニゾン」(ユニゾン(unison)とは音楽で同じ高さの音、また、そのような音や旋律を複数の声や楽器で奏する事を指す)
全ての楽器が、フォルティシモで同じ旋律(音)を奏するブルックナー得意の力技。まさにホール一杯に響く、パイプオルガンの壮大な迫力が堪能できる。誰にでも書けそうな手法だが、何と言っても最初にやったヤツが一番偉い。音楽史上最大のコロンブスの卵と言える。オルガン的な発想こそ、代表的なブルックナーらしさである。
10歳の頃から教会でオルガンを弾き、オルガニストとして音楽の世界へ入ってきた事が、大きく影響したのだろう。この手法はオルゲンプンクト(持続低音)を多用し、土台となる低音部を支え主題はユニゾンで提示したり、さらにユニゾンで音型を反復しながら、クライマックスを作ってゆくところなどに現れる。
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