薬の町と知られるのが大阪の道修(どしょう)町ですが、子供の頃のワタクシは「どうしゅうちょう」と読んでいました。恐らく同じような読み方をしていた人も、多いのではないでしょうか。ではまず、この名の由来から見ていきましょう。
<道修町の名前の由来は、色々あります。そのいくつかを、ご紹介しましょう。一つは「道修寺」説。道修町にはかつて道修寺というお寺があり、その墓石も掘り出されています。地名は、お寺の名前に由来するというもの。
二つめは「道修谷」説。大阪城が築城される以前、ちょうど今の道修町1丁目辺りは上町台地と、その西方に出来た洲島との谷間であったようで、この辺りは道修谷(どうしょうだに、どうしゅだに)と呼ばれていました。道修町は、そこからつけられたというもの。
三つめは「北山道修」説。その昔、北山道修という優れたお医者さんがこの地に住んでおり、門前には薬種屋が多く集まるようになりました。町の名前は、このお医者さんの名にちなんだという説。
そして、四つめが「本願寺」説。文禄2年(1593年)、本願寺の教如上人がこの辺りに渡辺御坊というお寺(このお寺は、後に本町にある南御堂に移りました)を建て、その関係者である堂衆が多く住むようになりました。その堂衆が、道修となったという説。どれも本当のようですが、実は定かではありません>
ポリネシア語による解釈
ポリネシア語による解釈
大阪市中央区に、道修町があります。江戸時代から続く船場の典型的な商人町で、薬種問屋が密集する町として有名でした。江戸初期は、道修(どうしゅ)谷と呼ばれていました。
この地名は
(1) 上野台地に切れ込む谷地の名称が町名となった
(2) かつて道修寺という寺院があったから
(3) 北山道修という医師が開業し、門前に薬屋が集まったから
などの説があります。
この「どうしゅ」は、マオリ語の「トウ・チウ」、TOU-TIU(tou=wet,lower end of anything;tiu=swing,north)、「蛇行する谷の出口」の転訛と解します。
※京都府の「途中峠」の項の途中町の「とちゅう」と、上記の「十三」(「チウ・トウ」と語順が逆になっています)とも同じ語源です。
※京都府の「途中峠」の項の途中町の「とちゅう」と、上記の「十三」(「チウ・トウ」と語順が逆になっています)とも同じ語源です。
出典
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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