1873年8月、ブルックナーはこの作品と旧作の第2交響曲の楽譜を持って、バイロイトのワーグナー宅を訪問している。風采の上がらないブルックナーを見て、ワーグナー夫人のコジマは「物乞い」と勘違いしたという。その頃のワーグナーは、バイロイト祝祭劇場建設のプロジェクトに忙しく、献呈に興味を示さず殆ど門前払いの形でブルックナーを帰らせた。が、後で楽譜を見て感動し、劇場建築現場に佇んでいたブルックナーを連れ戻して抱きしめ
「私はベートーヴェンに到達する者を、ただ一人知っている。ブルックナー君だよ」
と称賛した。
この、なんだか訳の分からないブルックナーの音楽を日本に紹介する上で、最も大きな功績があったのが朝比奈隆と大阪フィルのコンビである。彼らは、マーラーブームやブルックナーブームがやってくるずっと前から、定期演奏会でしつこく何度もブルックナーを演奏していた。その無謀とも思える試みの到達点として、1975年のヨーロッパ演奏旅行における伝説の聖フローリアンでの演奏が生まれる。このヨーロッパ演奏旅行で自信を深めた彼らは、その帰国後にジャンジャンという小さなレーベルで2年をかけてブルックナーの交響曲全集を完成させた。
このレコードは、その後「幻のレコード」として中古市場でとんでもない高値で取引されるようになり、一般人では入手が困難になっていたが、数年前に良好な状態でCD化され、ようやく庶民の手元にも届くようになった。ブルックナー指揮者として、その名を世界に轟かせている朝比奈隆が、ブルックナーの第3番についてはかなり低い評価しかしていないことが、この文章を読むとよく分かる。
朝比奈は、他にもこの本の中で演奏効果が上がらないことをこぼしている。演奏する立場から見れば、ブルックナーの第3番は難物なのだろう。が、アダージョは、室内楽的という言葉を超越するほど美しく、こんなブルックナーはザラには聴けない。
ブルックナー事典(6)
「ブルックナー・リズム」・・・4拍子の後半の2拍を3連符とするものや、前半を3連符にするもの。ゼクエンツと共に用いられる事で、より効果を上げる。2連符+3連符のリズムパターン。当初書いていた5連符では「演奏困難」という弟子たちの意見を受け入れ、この形に直したと言われる。人の言う事に左右されがちな、おどおどした不器用なブルックナー。一つの曲に、多くの版が存在する理由の一つ。
ブルックナーが、ウィーンフィルを指揮した時のこと。なかなか棒を下ろさない彼に、コンサートマスターが
「先生、どうぞ始めて下さい」
ブルックナーは、それに対し
「いえいえ、皆さんがお先にどうぞ」
てな話があったらしい。
ブルックナーブロック・・・「ブルックナー休止」と関連する。ブラームス、ベートーヴェンの音楽のように、全体が一つの大きな流れを形作るのでなく、休止で遮られた前後で関連性のない音楽のブロックが浮き沈みする、彼独特の話法。金管群の壮大なコラールの後、突然「休止」・・・・そして静寂の後、弦楽器がひそやかにピチカート(弦を指ではじく)を始めたり・・・「難解な作曲家」としてヤリ玉に上げられる理由のひとつが、これのせいである。
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