2006/09/10

浜離宮恩賜庭園(4)

文化財に指定

昭和22年(1947年)1120日、文部省の文化財に関する調査が浜離宮で行われ、翌昭和23年(1948年)115日付けで東京都から浜離宮の名勝・史跡指定の申請が文部省に提出された。申請当初は延遼館とテニスコート場を除外したが、同年317日に最終的には庭園全域と浜離宮周囲の海面を含んでの申請となり、同年1218日、史跡名勝天然記念物保存法による名勝及び史跡として指定された。

 

昭和27年(1952年)1122日、文化財保護委員会で海面部分が追加指定され特別名勝及び特別史跡として指定されるに至った。指定の要件として、地割変更は厳重禁止とし、庭樹・芝生など管理を十分に、庭景の復興に努力しなければならない。

 

築地川、中央区京橋5丁目側 - 長さ10間、幅365

汐留川、港区汐留駅側 - 長さ10間、幅315

汐留川、港区海岸通1丁目側 - 長さ10間、幅255

海面 - 長さ50間、幅50

 

放射18号線計画

昭和21年(1946年)3月、放射第18号線(海岸通|海岸通り)の街路計画が決定され戦災復興院告示され、その後引き継がれ、昭和25年(1950年)3月、東京特別都市計画決定され建設省告示された。さらに引き継がれて、昭和26年(1951年)12月、首都建設委員会より告示され、京浜工業地帯、東京港、中央卸売市場、昭和通りを結ぶ幅員20m道路計画である。この放射第18号線道路が、浜離宮の敷地の北西側を貫通するという、重大な問題が発生したのである。文化財保護委員会は反対の立場で、建設省、東京都、その他との交渉が3年間に渡り行われ、計画内容も3度変更された。

 

昭和30年(1955年)42日、文化財保護委員会が建設省案を認めたのは、汐留川の浜離宮側を水面のまま残し、残りの水面を埋め立てて道路にすることで決着し、計画道路は浜離宮の敷地内を通らないことになった。

 

都立庭園の無料化

昭和47年(1972年)41日、庭園の無料化を実施した。東京の都市化による生活環境の悪化などを考慮し、都民に出来るだけ緑を開放して体験して欲しいと考えた。しかし、庭園利用者の増加と、庭園収容能力の限界を超え、文化財としての庭園管理の問題点が噴出した。諮問機関の東京都公園審議会に、昭和51年(1976年)220日、審議会に諮問、昭和53年(1978年)1122日、最終答申を発表。再有料化が決まり、昭和54年(1979年)41日、有料化に復帰した。

 

近年、園内の施設の復元が進められており、昭和58年(1983年)に復元された「中島の御茶屋」に加えて、平成22年(2010年)12月に「松の御茶屋」、平成27年(2015年)5月に「燕の御茶屋」、平成30年(2018年)4月に「鷹の御茶屋」の復元が完了。「汐見の御茶屋」(海手御茶屋)の復元も検討されている。一方、一時は東京オリンピックに合わせて復元が予定された「延遼館」は、舛添要一都知事の辞任により復元が見合わされ、長期的に整備される計画となっている。

 

主な見所

潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満(水位の上下に従って水門を開閉)による眺めの変化を楽しむことができるようになっている。都内にある江戸時代からの庭園で唯一の海水の池で、東京湾からボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの魚が入り込んで生育している。江戸時代には釣りが行われていたが、現在は禁止されている。池の岩や石にはベンケイガニ、フジツボがなどが見られる。

 


中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。

お伝い橋 - 潮入の池の岸と中島を結ぶ木造橋。1983年(昭和58年)に復元。

中島の御茶屋 - 中島にある茶屋。1983年(昭和58年)に復元。休憩所として公開。

松の御茶屋 - 潮入りの池の北東側にある茶屋。2010年(平成22年)に復元。ガイドツアーのみ内部公開。

燕の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。2015年(平成27年)に復元。ガイドツアーのみ内部公開。

鷹の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。2018年(平成30年)4月に復元。内部公開。

 

三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松。園内には他にも松、ケヤキなど様々な樹木の大木が多く残されている。

 


お花畑 - 春はナノハナ、夏からに秋にかけてはコスモスが咲きほこる。



ボタン園 - 60800株が植えられている。

 

鴨場 - 鴨猟のため作られた池。庚申堂鴨場と新銭座鴨場の2つがある。築造は、前者が1778年、後者が1791年。鴨場は池と林を3mほどの土手で囲い、土手には常緑樹や竹笹を植え、鴨が安心して休息できるように外部と遮断されている。鴨場ではかつて猟が行われていた。その方法は、池に幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小のぞきから鴨の様子をうかがいながら、稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引掘におびきよせ、機をみて土手の陰から網ですくいとるというものであった。

 

芳梅亭 - 離宮時代の官舎を修復した集会場。

可美真手命像 - 可美真手命の像。明治天皇の大婚25周年を記念して献納されたもので、公募により佐野昭の作品が選ばれた。芳梅亭の近くにある。

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