カール・マリア・フォン・ウェーバー(ドイツ語: Carl Maria
Friedrich Ernst von Weber)は、ドイツのロマン派初期の作曲家、指揮者兼ピアニストである。
モーツァルトによるドイツオペラの伝統を継承し、自らの『魔弾の射手』によってドイツ・ロマン派のオペラ様式を完成、そしてワーグナーへと流れを導いた作曲家として重要である。
11歳で初めてオペラを作曲し『魔弾の射手』や『オベロン』などのオペラのほか『舞踏への勧誘』などの器楽曲も残した。またオーケストラの配置を現在に近い形に改めたり、指揮棒を初めて用いた人物としても知られる。
モーツァルトの妻コンスタンツェは、父方の従姉にあたる。
現在のドイツ・リューベック近郊のオイティーンに生まれる。
父フランツ・ヴェーバーの兄フリードリンの娘コンスタンツェは、人気作曲家であったモーツァルトと結婚していた。片足が不自由であり、小児麻痺であったとも伝えられる。
ヴェーバーが生まれた次の年、父が劇団を結成したため幼いころからドイツ、オーストリア全土を回ることとなった。幼少の際、彼はこれといって特別な才能は見せなかったが、9歳の時にヒルトブルクハウゼンでヨハン・ホイシュケルから本格的な音楽教育を受け、才能を見せる。
その後も旅先で音楽教育を受け、ザルツブルクではミヒャエル・ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟)、ウィーンでは、ウィーン音楽院の前身校でゲオルク・フォーグラーにも師事している。
1798年から99年にかけて、初のオペラ『愛と酒の力』を作曲するが、翌1800年に火事で消失している。
ピアノ協奏曲第1番は、ウェーバーが1810年に作曲したピアノ協奏曲である。
まず第2楽章、第3楽章だけが先に作曲され、5月26日初演、第1楽章は8月にダルムシュタットで作曲された。完成したのは10月4日で、全曲初演は1810年11月19日、マンハイムにおいて作曲者自身の独奏によって行われた。
第1楽章は、古典的な協奏ソナタ形式をとる。
なお、両端楽章のカデンツァは作り付けとなっており「カデンツァ」の表記すらない。
1804年、ブレスラウ(現ヴロツワフ)のカペルマイスターに就任したものの、自身の理想主義的傾向や父の投機的な性格が災いし、2年後には楽長を退く。この年にエッチング用の硝酸を誤飲し、声を出せなくなった(声を失うまでは、かなりの美声だったと言われる)
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