エロース(古希: Ἔρως,Erōs)は、ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である。
ギリシア語でパスシオン、則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。
日本語では長母音を省略してエロスとも呼ぶ。
●ローマ神話との対応・姿の変化
ローマ神話では、エロースにはラテン語で、やはり受苦の愛に近い意味を持つアモール(Amor)、またはクピードー(Cupido)を対応させる。
クピードーは後に幼児化して、英語読みでキューピッドと呼ばれる小天使のようなものに変化したが、元は髭の生えた男性の姿でイメージされていた。
古代ギリシアのエロースも同様で、古代には力強い有翼の男性あるいは若々しい青年であり、やがて少年の姿でイメージされるようになった。
エロースの象徴は弓矢及び松明である。
●古代の記述
ヘーシオドスの『神統記』では、カオスやガイア、タルタロスと同じく、世界の始まりから存在した原初神 (Greek primordial deities)である。
崇高で偉大で、どの神よりも卓越した力を持つ神であった。
またこの姿が、エロースの本来のありようである。
後に、軍神アレースと愛の女神アプロディーテーの子であるとされるようになった。
またエロースは、アプロディーテーの傍に仕える忠実な従者とされる。
古代のおいては、若い男性の姿で描かれていたが、西欧文化では近世以降、背中に翼のある愛らしい少年の姿で描かれることが多く、手には弓と矢を持つ(この姿の絵は本来のエロースではなく、アモールあるいはクピードーと混同された絵である)。
黄金で出来た矢に射られた者は激しい愛情に憑りつかれ、鉛で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するようになる。
エロースは、この矢で人や神々を撃って遊んでいた。
ある時、アポローンにそれを嘲られ、復讐としてアポローンを金の矢で、たまたまアポローンの前に居たダプネーを鉛の矢で撃った。
アポローンはダプネーへの恋慕のため、彼女を追い回すようになったが、ダプネーはこれを嫌って逃れた。
しかし、いよいよアポローンに追いつめられて逃げ場がなくなったとき、彼女は父に頼んでその身を月桂樹に変えた(ダプネー daphne とは、ギリシア語で、月桂樹という意味の普通名詞である)。
このエピソードが示す寓意は、強い理性に凝り固まった者は恋愛と言う物を蔑みがちだが、自らの激しい恋慕の前にはその理性も瓦解すると言う事である。
●アモールとプシケー (愛と心)
ヘレニズム時代になると、甘美な物語が語られるようになる。
それが『愛と心の物語』である。
地上の人間界で、王の末娘プシューケーが絶世の美女として噂になっていた。
母アプロディーテーは、美の女神としての誇りからこれを嫉妬し憎み、この娘が子孫を残さぬよう鉛の矢で撃つようにエロースに命じた。
だがエロースは、プシューケーの寝顔の美しさに惑って撃ち損ない、ついには誤って金の矢で自身の足を傷つけてしまう。
その時、眼前に居たプシューケーに恋をしてしまうが、エロースは恥じて身を隠し、だが恋心は抑えられず魔神に化けてプシューケーの両親の前に現れ、彼女を生贄として捧げるよう命じた。
晴れてプシューケーと同居したエロースだが、神であることを知られては禁忌に触れるため、暗闇でしかプシューケーに会おうとしなかった。
姉たちに唆されたプシューケーが灯りをエロースに当てると、エロースは逃げ去ってしまった。
エロースの端正な顔と美しい姿を見てプシューケーも恋に陥り、人間でありながら姑アプロディーテーの出す難題を解くため冥界に行ったりなどして、ついにエロースと再会する。
この話は、アプレイウスが『黄金の驢馬』の中に記した挿入譚で「愛と心」の関係を象徴的に神話にしたものである。
プシューケーとは、ギリシア語で「心・魂」の意味である。
プシューケーとの間には、ウォルプタース(ラテン語で「喜び」、「悦楽」の意。古典ギリシア語ではヘドネー)と言う名の女神が生まれた。
※Wikipedia引用
※Wikipedia引用
0 件のコメント:
コメントを投稿