2017/06/13

八尺勾璁について(三種の神器)

横井千秋の「勾玉の考」で、「私の師(賀茂真淵のことか?)の考えに、八尺の勾玉は、八は彌(いや)である。尺(さか)は佐明(さあか)である。「佐」は「眞」に通じる言である。すると彌眞明(いやさあか)の勾玉ということである。云々」と言う。この説で、「八尺」の意味は明らかである。

 

この説にすがって、さらに考えると、勾玉という名も、形が曲がっているための名ではない。勾玉などというのは、例の借字で、「まが」というのは、古事記の帯中日子(たらしなかつひこ)天皇(仲哀天皇)の段に「目之炎耀種々珍寶(めのかがやくクサグサのたから)云々」、書紀の同じ巻に「眼炎之金銀彩色(まかがやくコガネ・シロガネ・ウルワシキいろ)」などとある「目炎耀(まかがやく)」であり、目赫(まかが)を縮めて「まが」と言ったのである。

 

「眼かがやく」とは、物語本などに「目にもあやな」などと言い、俗言に「まばゆい」、「かがはゆい」などと言うのと同じである。とすれば八尺の勾玉というのは、「彌眞明之目赫玉(いやさあかのめかがたま)」ということになり、その玉が、世にも優れた、明るく玲瓏と(透き通って)、美麗であることを言う。垂仁紀に「鵜鹿々赤石玉(うかがあかしたま)」という言葉がある。万葉の歌に「加我欲布珠(かがようたま)」などの言葉もある。これらを見ても、玉に「赫(かが)」という語が結びついているのが分かるだろう。

 

それを昔から、この意味に通じた人が少なく、単に玉の形が曲がっているための名であるとばかり思っているのは誤りである。今の世では、土中から掘り出されるなどして、よく見られる古代の玉は、その形が少々曲がっているので、「これこそ上代の曲玉というものだ」と思い込み、みだりに「曲玉」などと言うが、ほとんどは今見ると、さして美しくもない。土中から出るものなどは、たくさんあるから、上代にはありふれたものと思われ、特別賞賛されたものとは思えない。

 

いにしえの曲玉と言われたものは、世にも稀な、優れて麗しい玉であっただろう。今言う曲玉のように、豊富にあったものではない。その形は今見るように、少々曲がっていたかも知れないが、それによって「曲玉」と呼んだわけではないと理解すべきである。

 

形が曲がっているからと言って、何ら賞賛に値しない。それを書紀の仲哀の巻で「筑紫の伊覩(いと)の縣主の祖、五十迹手(いとて)は、天皇がおいでになったと聞いて、五百枝(いおえ)の賢木(さかき)を根こじに取り、舟の舳先に立てて、上の方には八尺瓊(やさかたま)を懸け、中程の枝に白銅(ますみ)の鏡を懸け、下の枝には十握劔(とつかつるぎ)を掛けて、穴門(あなど)の引嶋(ひくしま)に出迎えて、『私がこれを奉るわけは、天皇が八尺瓊の曲がっているように、いとも妙(たえ)に(委曲をつくして)天下をお治めになり(曲妙御宇)、云々』」とあるのは、もっぱらこの玉の形が曲がっていることを言っているようで、字面もそうだし、訓もそういう趣で付けてあるが、「八尺瓊の曲がっているように、いとも妙に」というのは、訳が分からない。そもそも「まがる」とは、不吉なことに言う言葉であって、「たえに」と賞めることには使わないだろう。

 

ということは、これはおそらく古文では「八尺の勾玉のように妙に」とあったのを、その「勾」は借字だったのを、その字にこじつけて、漢文をでっちあげたのだろう。その「曲妙」という字は、漢籍に「曲=成2萬物1不レ遺(万物を曲成してのこさず)」、「曲=盡2其妙1(その妙を曲尽す)」などとあるのに基づいて、字面だけを飾ったものだから、古くから読まれてきたように、この二字を合わせて「たえに」と読む他はない。とすると、曲がっていると表現する意味は全くない。すべて書紀は、漢文流の潤色によって、皇国の古い心を失っていることが多いというのは、こうした間違いがあるからである。よく考えて読まなければ、必ず紛れて真意が分からなくなるものである。とすると、上記の壽言(ほぎごと)も、「この瓊が眼炎耀(まかがや)いて美しいように、御光を妙(たえ)に施して、天下をお治めになり」と言ったのである。

 

こう見ると、その下に「また白銅(ますみ)の鏡のように・・・ぜひこの十握劔をお持ちになり云々」とあるのとも意味がよく通じる。それを縣居の翁(賀茂真淵のことか?)の出雲国造の神賀詞の考に、「青玉能水江玉乃行相爾(あおたまのみずえのたまのゆきあいに)云々」とあるところで、この仲哀紀の言葉を引用して、「ここで『行き相い』と言い、『八尺瓊の曲がっているように』と言うのは、天下を統べ廻らし、治めるたとえである」と言ったのは、まずい解釈である。本来の意味は上述した通りである。ここで「行相」というのは、そうしたたとえではない。師の後の解釈の通りである。宣長いわく、勾玉という名については、こちらの考えが大変よろしい。これに従うべきである。これについては、詳しい本がある。

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