2017/06/09

ミトラ教(1)



古代インド神話の『ヴェーダ』やゾロアスター教に登場するミトラ(ミスラ)

ミトラ神』という神は、歴史的に多義的・多面的な起源や経緯を持つ神であり、古代インド神話の聖典『ヴェーダ』では「ミトラ」と呼ばれることが多く、地理的には西アジアに位置する古代ペルシア(古代イラン)のゾロアスター教やミトラス教では「ミスラ」と呼ばれることが多い。

更に、古代ギリシア・ローマの古典古代のヨーロッパ世界においても、神秘主義的なミトラ神崇拝が広まっていった事もある。

ミトラ(ミスラ)の神は、特に古代インドや古代ペルシアにいたアーリア人たちから、熱心な崇拝と帰依を受けた神である。

『ヴェーダ』に「ミトラ」という名前で登場する「契約・友愛の神」は「秩序の神」であるヴァルナと双璧を為す対の神として認識されていた。

ミトラ(ミスラ)という名前の原義も『契約・(契約が締結された)盟友』といった意味であり、ミトラとヴァルナの盟友の友愛的な結合の背景には、不可侵の神聖な契約が存在していたのである。

古代インド神話において友情・友愛の守護神とされたミトラは、インドラ神などの他の神々の神格や属性・役割も併せ持つ特徴がある。

そのため、古代ギリシア・ローマにミトラ神の信仰が伝播すると、ミトラ教の一神教的信仰の対象になったミトラ(ミスラ)は、全知全能の神としての側面を強く持つようになる。

ミトラ教は、一神教的な全知全能・永遠の神であるミトラ(ミスラ)を信仰することによって、一神教のキリスト教の信仰形態と非常に似たものになっていき、キリスト教団から排斥・弾圧を受けることもあったという。

リグ・ヴェーダ』では、ミトラはヴァルナと表裏一体を為しているコンビの神であり、その本質は『契約の履行・祝福』にあるとされる。

ミトラ神は契約を締結・祝福する役割を果たし、ヴァルナ神は契約の履行を監視する役割を果たすが、このコンビである二神によって契約に背いた者には厳しい罰が与えられる事になる。

ミトラ神は、アディティの産んだ十二柱の太陽神(アーディティヤ神群)の一柱であり、毎年6月の一ヶ月間にわたって太陽の戦車に乗って天空を駆け回る存在でもある。

古代インド神話に登場するミトラとヴァルナは、千の柱と扉が張り巡らされた豪華で広大な邸宅に住んでおり、契約と盟友(友愛)の神として崇められたが、時代が進むにつれて宇宙の統治者・全能の神としての属性を付与されるようになった。

だが、発祥地のインドにおいては次第にミトラ神に対する信仰は衰え、神話に登場する頻度も低くなっていったという。

 ゾロアスター教では、創始者ゾロアスターによる紀元前7世紀頃の宗教改革によって、一時的にミトラ神の信仰が抑圧されることになったが、ゾロアスターの死後には『ミトラ神の民間信仰』が急速に盛り上がっていった。

ミトラ神(ミスラ神)は民衆から強く支持された神であり、ゾロアスター教の教義の上でも最高神アフラ・マズダに次ぐ神格とされるようになり、遂にはミトラはアフラ・ミトラという神になって、アフラ・マズダと合一化(習合)してしまったのである。

ゾロアスター教では、最高神アフラ・マズダの子供は、アムシャ・スプンタと呼ばれる大天使たちであるとされる。

その大天使のアムシャ・スプンタとは別に、ゾロアスター教以前から信仰されていた一般的な土着の神々・天使として『ヤザタ神(ヤザタ神群)』と呼ばれる一群の神々がいた。

ミトラ神(ミスラ神)も、このヤザタ神群の一員とされることがある。

ヤザタ神群は、アニミズムの影響を受けた自然神の集団であり、大きく『物質的な神のヤザタ』と『心霊的な神のヤザタ』に分類されていた。

目に見える感覚器官で感じることができる物質に宿っている神が『物質的な神』であり、目に見えない理念や価値、観念などに宿っている神が『心霊的な神』である。

物質的な神のヤザタには、火の神アータル、水の神アナーヒター、植物の神ハオマなどがいる。

契約の神であるミトラ(ミスラ)は、心霊的な神の一柱とされたが、ミトラ以外にも公正の神ラシュヌ、勝利の神ヴルスラグナなどがいた。

ミトラス教(ミトラ教)の起源は、古代インドのヴェーダ信仰の影響を受けた古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にあるとされる。

ミトラ神は多種多様な属性を持つ神であり、現世利益を人々にもたらしてくれる『契約の神・戦争の神・光明神・太陽神』などとして、古代のペルシア(イラン)やインドの民衆から熱狂的に崇められるようになった。

ゾロアスター教におけるアフラ・ミトラ(ミトラ神)は、『最後の審判』に関わる神としての属性を付与されて、死後の冥府で死者の生前の行状を裁く審判者(裁判の神)としての役割を担うようにもなり、段階的にアフラ・マズダと習合した絶対神になっていった。

古代のペルシア王朝におけるミトラ教信仰では、ミトラと呼ばれるよりもミスラと呼ばれることのほうが多かったと言われる。

ミトラ教は、次第にペルシア王朝の『国教』としての地位を固めたが、1世紀後半にはインドのクシャーナ朝にも伝播して『太陽神ミイロ』となり、仏教の神・菩薩とも習合してミトラは『弥勒菩薩(みろくぼさつ)』として崇められるようになった。

イラン高原に興った精強な遊牧民族の国家であるパルティア(B.C.247年頃-A.D.228年)では、ミスラ神は『戦争の勝利の神』として民衆や支配階層から厚い信仰を受けることとなり、ミスラ教の最盛期とも言える繁栄ぶりを見せたという。

アケメネス朝ペルシアでは、ミトラ教の神官はメソポタミアや小アジアでも積極的な布教活動を展開するようになり、紀元前1世紀頃にはギリシアのヘレニズム文化の影響を強く受けて、ミトラ神は古代ギリシア神話の『太陽神ヘリオス』と同一視されるようになった。

太陽神としてのミトラ(ミスラ)の誕生である

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