毛利庄厚木郷中世には厚木郷があり、矢倉沢往還の宿場町。古くは相模川、中津川、小鮎川が合流する木材の集散地であったことから「あつめぎ(集木)」が転訛した説、アイヌ語の「ヤオロケシ」(寄木)や「アツイゲン」(船の集まるところ)の転とする説などがある。また月神を祀った土地・「ア・ツキ(月)」からとする説もあるという(不詳)。なお明星山妙純寺には、日蓮にまつわる星下り伝説が残る。
厚木市は相模平野の中央に位置し、相模川右岸の洪積台地と沖積平野を含む広大肥沃な地域にあって、既に5千~6千年前の縄文時代前期には人々が定住したと推定される。市域は地方豪族の私領、鎌倉武将の所領や寺領と変遷を重ねた
「あつぎ」の地名が史書に初めて登場してくるのは、南北朝の時代である。建武5年(1338年)、夢窓疎石が高師直にあてた書状の中に「相州厚木郷」と記されている。
「あつぎ」の地名の由来は、木材の集散地であったところから、アツメギがアツギに変化したとか、アイヌ語のヤオロケシ(寄木)から名付けられたのだという説等があるが定説はない。
厚木の語源は、「木が集まる」→「集木」→「厚木」という説があります。中世には林業で相模川、桂川上流から木材を流していて、その集積場所が現在の相模大橋付近でした。
厚木の名称は、元は相模川中流域全体を指すものであり、川の両岸が厚木と呼ばれていました。つまり地域名称であって、現在の「湘南」と同じく、どこからどこまでという範囲はありませんでした。それが、時代が下り矢倉沢往還という裏街道の小さな宿場町が厚木と呼ばれるようになり、厚木宿のみの固有名詞になったようです。
厚木基地も相模川中流域にあることから、あながち間違いではないようです。軍事基地なので、戦前には敵国へのかく乱の意味で、おおざっぱな名称にしたとも考えられます。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
厚木(あつぎ)市・依知(えち)・飯山(いいやま)
厚木市は、県のほぼ中央、丹沢山地から相模川にかけて広がります。中世には厚木郷があり、相模川、中津川、小鮎川の三川が合流する地点では、舟運を利用する市場町を形成し、矢倉沢往還の宿場町として栄えました。
市名は
(1)三川が合流し、材木が集まる(集木(あつぎ))ところから
(2)「ア・ツキ(月)」から月の神を祀ったところ
(3)アイヌ語の「アツイゲン(船の集まるところ)」
の転などの説があります。
市の東北部の相模川と中津川に挟まれた台地に、依知(えち)地区が、西部の丹沢山地東麓に湧き出している温泉の一つに、飯山(いいやま)温泉があり、飯山観音が近くにあります。
この「あつぎ」、「えち」、「いいやま」は、マオリ語の
「ア・ツ(ン)ギ」、A-TUNGI(a=the...of,particle before names of placescollect;tungi=set
a light to,kindle burn)、「大きな居住地」(「ツ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ツギ」となつた)
「エチ」、ETI(shrink,recoil)、「(相模川の流路の移動によつて)縮んだ(後退した土地)」
「イイ・イア・マ」、II-IA-MA(ii=i=ferment,be stired;ia=current,indeed;ma=white,clean)、「沸騰する水が流れる(温泉が湧き出す)清らかな(土地)」
の転訛と解します。
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