2017/06/05

ゾロアスター教とユダヤ教の関係



キリスト教、さらにイスラームの母体となるとされる「ユダヤ教」ですが、その宗教の核となっているのが「神から約束された豊穣の地(カナンの地、現在のパレスチナ地方)を我が手にする」ということでした。

 そのためにユダヤ教では「神の言いつけ、つまり律法を守る」という形の厳しい戒律主義宗教となったのでした。

ところが私達に紹介されるイエスの教えというのは「魂の救済」が目的なのだ、などと言われます。

さらにイスラームでは「最後の審判」というものが、とりわけ強調されます。
この「魂の救済」とか「最後の審判」などという考え方は、本来のユダヤ教には全くない考え方です。

それなのに、なぜこんな考え方がイエス並びにキリスト教、そしてイスラームの教義の中心となり得たのでしょうか。
 
 それは結論的に言うと、中東のイラン地方に生じたペルシャのゾロアスター教がユダヤ教に強く影響し、ゾロアスター的ユダヤ教を生み出していたからでした。

このゾロアスター的ユダヤ教というのが「パリサイ派」と呼ばれるもので、ここでは本来のユダヤ教にはない「魂の不滅」であるとか「復活」、「天使」といった概念を持っていたことが、パリサイ派に属していたイエスの伝道師パウロの証言によっても立証されます(「使徒言行録」23.6以下)。

これらの概念は、本来ペルシャのゾロアスター教の特色としてあげられるものなのでした。
 
 こうしてセム族の神であったヤハウェは、ここでペルシャ的な装いを持つことになりました。

すなわち、豊かな土地の約束をする神であったヤハウェは、魂の不滅とか復活とかを約束する神、最後の審判において人類を類別・救済する神へと変貌していったのです。
 
 この事情が後に、ゾロアスター教を国教にしていたペルシャ・イラン人(ペルシャもイランも同じ民族の呼称の違い)が「イスラーム」へと転向し得た理由であったと考えられます。

つまり、ペルシャ・イラン人にとって、イスラームは馴染みの考え方を持った宗教で、しかも宗教的に強い宗教であったということだったのでしょう。

イスラームは、ユダヤ・キリスト教を母体にしているのですが、その思想の中でもとりわけペルシャ・ゾロアスター的である最後の審判を重要視している宗教だからです。

要するに、ユダヤ教の段階でのゾロアスター的装いを持った中東の神はキリスト教に流れ込み、さらに再び中東に連れ戻された時にイスラームの神となって、ここでゾロアスター教の核の教義であったと言える最後の審判が強く押し出されてきて、イスラームの主要教義となっていったと考えられるのです。

●教祖ゾロアスター
 ゾロアスターという人物は、はっきりした年代は分かっていないのですが、一応伝承によって紀元前600年代から500年代、ペルシャが台頭してきた頃を同時に生きた人物である、と考えられています。

 これは他方で、ヘブライ神話を元にしたユダヤ教の成立期と重なり、ユダヤ教の正統派であるサドカイ派に対し、新興勢力のパリサイ派が形成されていく時期とも重なります。

この時、パリサイ派が伝統的正統派に対するものとして、解放の恩人であったペルシャが国教とするゾロアスター教の思想を導入していったということは、十分に考えられそうなことでした。

そして、この時代はイエスの生まれる5~600年前となります。

 通常、ゾロアスター教は「善・悪二元論」として説明されます。

善神で最高神とされるアフラ・マズダと、独立的存在として悪神アンラ・マンユがおり、対立関係を形成しているからです。

さらにそれぞれに、その配下として多くの神がいるという構造をしています。

 もっとも善・悪二元とはいっても、もちろん中心になるのは善神の方で、人間はこちらにこそ従わねばならない、とされるのは当然でした。

つまりゾロアスター教での最高神はアフラ・マズダとされ、この神は(「悪の世界」をのぞけば)全知全能であり宇宙の創造者、善そのものであって完全であり欠けるところがなく、光明で世を満たす存在とされます。

 この神の在り方は、一見当たり前のように見えますが実はそうではなく、この神のあり方を引き継いだキリスト教・イスラームの神が全知全能、宇宙の創造者、善そのものを掲げ続けたので、現代の私達には当たり前に見えているだけで、古代世界では物凄く珍しいといえるのです。

 というのも、古代の神というのは自然力の人格化、つまり自然のあり方を人間の姿として表現したというものでしたから、人間の反映という性格を強く持ち強力ではあるものの人間的で、したがって感情的で過ちも犯し、恣意的だからです。

これは、ヘブライ神話のヤハウェにしても同様です。

 ですから「全知全能の神」といった概念を生み出したゾロアスター教というのは非常に独創的で、哲学的な宗教であったと言えるのです。

 こうして、イエスに至ってペルシャのアフラ・マズタの性格を引き継いだ善そのものの神、しかもユダヤのヤハウェを引き継いで唯一神といった概念が形成されていった、と考えられるわけです。

もっとも、この善そのものの神という概念をユダヤ教でのヤハウェに読み取りたいとする人々もいるのですが(多くのキリスト教神学者はペルシャの影響など認めたくないので、こうした態度になってしまう)、しかしヘブライ神話を素直に読む限り、そうした神の姿は全く現れてはきません。

 また、イエスはキリスト教の時代になって「光の子」とされることになるのですが、そうした概念の起源もこのペルシャに求められます。

それはアフラ・マズタか、ないし光明神とされるミトラ神のどちらかでしょう。

このミトラ神はローマ帝国に伝えられて勢力を振るい、キリスト教の最大ライバルの一つでもありました。

そしてキリスト教の勢力の拡大によって、そこに吸収合併されていったようで、それが本来のキリスト教にはあり得なかった「クリスマス=光の子たるイエスの地上への現れを祝う」となっていった、と考えられます。

というのも、このクリスマスの日(12月25日)というのは「光の神ミトラ神の祭典の日」だったのです。
※ http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html 引用

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