2017/06/03

『古事記傳』15-1 神代十三之巻【御孫命天降の段】(1)

口語訳:そこで天照大御神、高木の神は勅命して、御子の正勝吾勝勝速日天忍穗耳命に

「今、葦原の中つ国は平定し終わったという。そこで、言依さしに従って天降り、その国を治めよ」

と言った。太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命は答えて

「天降りしようと服を着替えておりましたところ、私の子が生まれました。名は天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命といいます。この子を降らせた方がいいかと思います」

と言った。この御子が、高木の神の娘、萬幡豊秋津師比賣命を妻として生んだ子が、天火明命、次に日子番能邇邇藝命の二柱である。そこでその答えのままに、日子番能邇邇藝命に詔命を下して

「この豊葦原の瑞穂の国は、お前が治める国だと言依さしがあった。だから詔命に従って天降りせよ」

と言った。

 

太子は「日嗣ぎの御子」である。その意味は前【伝十四の三十七葉】に言った。初めの詔命では太子とは言わず、ここでそう言ったのは、初めはまだ地上を治めよと言う詔命(言依さし)を受けていなかったので、太子ではなかった。ここで正式に詔命を受けたので、太子となったのだ。

 

口語訳:日子番能邇邇藝命がいよいよ天降りしようとしたとき、天の八衢という場所(天と地を結ぶ往来の盛んなところ)に、一柱の神がいて、その光は天上に届き、地上をあまねく照らしていた。そこで天照大御神と高木の神は天宇受賣神に

「お前は女ではあるが、どんな神とにらみ合っても恐れず、勝つような気の強さがある。そこで行って、『私の御子が天降ろうとする道にいるそなたは何者か』と訊いてきなさい」

と詔した。そこで天宇受賣神がその正体不明の神の前に行って訊ねると

「わしは国津神、名は猿田毘古神だ。天神の御子が降られると聞いたので、先導してご案内しようと思って、ここへ迎えに出て来たのだ」

と答えた。

 

口語訳:そこで天兒屋命・布刀玉命・天宇受賣命・伊斯許理度賣命・玉祖命、合わせて五柱の神を伴の緒としてお伴させ、天降りさせた。

 

サルタヒコ

サルタヒコ、またはサルタヒコノカミは、日本神話に登場する神。『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。

 

天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神。『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。

 

『日本書紀』には、天宇受売神は胸乳を露わにし裳帯(もひも)を臍の下に垂らしたとあるので、性的な所作をもって相対したことになる。神話では二神が結婚したと伝えられている。

 

「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とする説がある。「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神だったとする説もある。その異形な風貌から赤鼻の天狗とされるが、仏教、特に密教系の烏天狗と混同されやすい。

 

三重県鈴鹿市の椿大神社、三重県伊勢市宇治浦田の猿田彦神社がサルタヒコを祀る神社として名高い。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。この場合、妻とされる天宇受売神とともに祀られるのが通例である。また、祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をすることがある。

 

他にも滋賀県高島市の白鬚神社の祭神とされたことから、白鬚明神の名でも全国各地に祀られている。また子孫である大田命、内宮の興玉神とも同一視される。さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格を持つ。

 

こうしたことから近年は、謎の神として鎌田東二などの学者にクローズアップされている。鎌田は、サルタヒコとアメノウズメの協働を国津神であるサルタヒコの裏切りではなく、新しい日本の体制を開くための和睦と解釈し、サルタヒコを日本的霊性の現像ととらえている。

 

常陸国の住人に猿田氏があり、猿田彦の末裔であるとされる。前述の椿大神社・猿田彦神社の宮司もともに古くから猿田彦の神孫と称する。現代でも小説や漫画などの創作物の登場人物として用いられる。例えば手塚治虫の『火の鳥』シリーズには、「猿田」もしくは「サルタヒコ」という人物が多く登場する。それらの多くが、鼻が大きいという身体的特徴を持っている。

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