●シュメール人(Sumerian)
メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアに生まれた世界最古の文明で、大河を利用した灌漑農業を行っていた。
BC3500年頃から人口が急激に増え、楔形文字が使われ、青銅器が普及した。
BC3000年頃から、シュメール人の都市国家が形成された。
ウルやウルク(Uruk)などが代表的な都市である。
メソポタミアでは大洪水が何度も起き、都市の中心にはジッグラト(Ziggurat)と呼ばれる人口の丘が造られた。
洪水の話はノアの箱舟の物語に、ジッグラトはバベルの塔の伝説になったと考えられている。
都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。
王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。
ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgamesh)は、BC2600年頃のシュメール人の王である。
●古バビロニア王国(Babylonia)
シュメール人の都市国家は絶え間ない戦争のため衰え、BC2350年、アッカド人のサルゴン1世(Sargon)が都市国家を征服し、シリアからエラム(イラン南西部)に至るアッカド帝国(Akkad)を建国した。
BC2230年頃、シュメール人が勢力を回復してアッカド帝国を滅ぼし、ウル第三王朝が作られた。
しかしこの王朝も長続きせず、BC1900年頃、アムル人がバビロンに古バビロニア王国を建国した。
この王朝はBC1700年頃、第6代のハンムラビ(Hammurabi)の時に最盛期を迎える。
ハムラビ王は、BC1750年に「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を発布する。
旧約聖書の創世記14章に登場するシナルの王アムラフェルは、ハムラビ王のことではないかという説がある。
【オリエント】
オリエントとは「太陽の昇るところ」を意味し、ヨーロッパから見た東方、現在の中東をさす。
エジプトの太陽暦、バビロニアの60進法(現在も時計に使われている)、フェニキアの表音文字(アルファベット)がヨーロッパに伝わった。
キリスト教も、オリエントで産まれたものである。
●ヒッタイト王国(Hittites)
BC17世紀半ば頃、鉄製の武器を使ったヒッタイトは、小アジアに強力な帝国を建設し、古バビロニア王国を滅ぼした。
BC1285年頃、ヒッタイト王ムワタリは、シリアに進出してきたラムセス2世率いるエジプト軍と戦った(カデシュの戦い)。
ヒッタイト軍は、先頭のエジプト軍を壊滅させるなど戦闘を有利に進めたが、その後エジプト軍が巻き返し、膠着状態となった。
ムワタリは停戦を申し入れ、ラムセス2世も受諾し両軍とも兵を退いた。
平和条約は成文化され、粘土板に刻まれた。
この粘土板は1905年にトルコのボアズカレで発見され、そこがヒッタイトの都であることが分かった。
またエジプトには、この粘土板と同じ内容がカルナック神殿の壁に刻まれている。
この時代にはヒッタイトやエジプト以外に、フルリ人のミタンニ王国やカッシート人のバビロン第3王朝(カッシート王国)が栄えていた。
【アマルナ文書】
オリエントの王から新王国時代のエジプトに送られた外交文書で、382枚の粘土板に楔形文字で書かれている。
1885年、エジプトのアマルナで発見された。
●ヒッタイトの滅亡
ヒッタイトはBC1190年ころ、謎の民族である海の民によって滅ぼされた。
海の民は自分達の国家を作らず、歴史から消えてしまった。
メソポタミアを支配してきたエジプトやヒッタイトが衰退すると、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活躍した。
●アラム人(Aramaeans)
BC1200年からダマスカスを中心に都市国家を建設し、ラクダを使った隊商貿易で栄えた。
交易網が拡大するとともに、アラム語がオリエント世界の国際語となった。
また、彼らが使ったアラム文字はヘブライ文字、アラビア文字、シリア文字、突厥文字、モンゴル文字などに派生していった。
●フェニキア人(Phoenicia)
海洋商業民族。
シドンやティルスなどの都市国家を作って地中海貿易を独占し、カルタゴなど多くの植民都市を建設した。
フェニキア文字を使用し、これがギリシアに伝わってアルファベットとなった。
アルファベットとは、ギリシア文字の最初の2文字アルファ、ベータに由来する。
●ヘブライ人(Hebrew)
遊牧民であったがBC1500年頃パレスティナに定住し、一部はエジプトに移住した。
エジプトのヘブライ人は、BC13世紀にモーゼに率いられてエジプトを脱出し、
パレスティナにイスラエル王国を建国した。
ダヴィデと、その子ソロモンの頃に栄えた。
ユダヤ人のこと。
●アッシリア(Assyria:シリアの語源)
アッシリアはBC2000年頃にイラク北部にできた国家で、当初はミタンニ王国に服属していた。
その後独立し、鉄製の武器と戦車や騎兵によって勢力をのばし、サルゴン2世(BC722~705年)の頃、オリエントの大半を統一した(最初の世界帝国)。
最盛期はアッシュールバニパル王の頃で、BC663年にエジプトを征服する。
首都をニネヴェに移し、図書館を建設した。
この遺跡からギルガメッシュ叙事詩が発見された。
しかし過酷な専制支配をしいたため、BC612年にカルデア・メディア連合軍に滅ばされた。
オリエントはエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4王国に分立した。
この中で、新バビロニアが優勢だった。
リディアは世界で初めて鋳造した貨幣を造り、物流に大きな変化をもたらした。貨幣はギリシャに広まっていった。
●新バビロニア
新バビロニアのネブカドネザル2世(BC604~562年、Nebuchadnezzar)の頃が最盛期で、メソポタミア、シリア、パレスティナを支配し、バベルの塔やイシュタル門などを建築した。
また、またユダ王国を2度の遠征で滅ぼし、ユダヤ人の大量移送、バビロン捕囚(Babylonian
captivity)を行った。
新バビロニアは、BC539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされ、バビロン捕囚で連行されたユダヤ人は解放された。
【イシュタル(Ishtar)】
アッカドの女神で、ローマのヴィーナスのこと。
イシュタルは、アッカドが滅亡しても多くの民族で崇拝された。
ネブカドネザル2世は、バビロンに入る8番目の門としてイシュタルを描いたイシュタル門を建設した。
ベルリンのペルガモン博物館には、この門を復元して展示している。
【ナブッコ】
バビロンの捕囚を題材としたヴェルディ作曲のオペラで、ナブッコとはネブカドネザル2世のことである。
第3幕での合唱「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、イタリアでは第2の国歌となっている。
※ http://www.vivonet.co.jp/rekisi/ 引用
※ http://www.vivonet.co.jp/rekisi/ 引用
0 件のコメント:
コメントを投稿