2017/06/25

メソポタミア文明(2)

●シュメール人(Sumerian)
 メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアに生まれた世界最古の文明で、大河を利用した灌漑農業を行っていた。

BC3500年頃から人口が急激に増え、楔形文字が使われ、青銅器が普及した。

BC3000年頃から、シュメール人の都市国家が形成された。

ウルウルク(Urukなどが代表的な都市である。

メソポタミアでは大洪水が何度も起き、都市の中心にはジッグラト(Ziggurat)と呼ばれる人口の丘が造られた。

洪水の話はノアの箱舟の物語に、ジッグラトはバベルの塔の伝説になったと考えられている
 
都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。

王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。

ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgameshは、BC2600年頃のシュメール人の王である。

●古バビロニア王国(Babylonia)
 シュメール人の都市国家は絶え間ない戦争のため衰え、BC2350年、アッカド人のサルゴン1(Sargon)が都市国家を征服し、シリアからエラム(イラン南西部)に至るアッカド帝国(Akkad)を建国した。
 
 BC2230年頃、シュメール人が勢力を回復してアッカド帝国を滅ぼし、ウル第三王朝が作られた。

しかしこの王朝も長続きせず、BC1900年頃、アムル人がバビロンに古バビロニア王国を建国した。
 
 この王朝はBC1700年頃、第6代のハンムラビ(Hammurabiの時に最盛期を迎える。

ハムラビ王は、BC1750年に「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を発布する。

旧約聖書の創世記14章に登場するシナルの王アムラフェルは、ハムラビ王のことではないかという説がある。

オリエント
オリエントとは「太陽の昇るところ」を意味し、ヨーロッパから見た東方、現在の中東をさす。

エジプトの太陽暦、バビロニアの60進法(現在も時計に使われている)、フェニキアの表音文字(アルファベット)がヨーロッパに伝わった。

キリスト教も、オリエントで産まれたものである。

●ヒッタイト王国(Hittites)
 BC17世紀半ば頃、鉄製の武器を使ったヒッタイトは、小アジアに強力な帝国を建設し、古バビロニア王国を滅ぼした。

BC1285年頃、ヒッタイト王ムワタリは、シリアに進出してきたラムセス2世率いるエジプト軍と戦った(カデシュの戦い)。

ヒッタイト軍は、先頭のエジプト軍を壊滅させるなど戦闘を有利に進めたが、その後エジプト軍が巻き返し、膠着状態となった。

ムワタリは停戦を申し入れ、ラムセス2世も受諾し両軍とも兵を退いた。

平和条約は成文化され、粘土板に刻まれた。

この粘土板は1905年にトルコのボアズカレで発見され、そこがヒッタイトの都であることが分かった。

またエジプトには、この粘土板と同じ内容がカルナック神殿の壁に刻まれている。
 
 この時代にはヒッタイトやエジプト以外に、フルリ人のミタンニ王国やカッシート人のバビロン第3王朝(カッシート王国)が栄えていた

【アマルナ文書】
オリエントの王から新王国時代のエジプトに送られた外交文書で、382枚の粘土板に楔形文字で書かれている。

1885年、エジプトのアマルナで発見された。

●ヒッタイトの滅亡
 ヒッタイトはBC1190年ころ、謎の民族である海の民によって滅ぼされた。

海の民は自分達の国家を作らず、歴史から消えてしまった。

メソポタミアを支配してきたエジプトやヒッタイトが衰退すると、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活躍した。

●アラム人(Aramaeans
BC1200年からダマスカスを中心に都市国家を建設し、ラクダを使った隊商貿易で栄えた。

交易網が拡大するとともに、アラム語がオリエント世界の国際語となった。

また、彼らが使ったアラム文字はヘブライ文字、アラビア文字、シリア文字、突厥文字、モンゴル文字などに派生していった。

●フェニキア人(Phoenicia
海洋商業民族。

シドンやティルスなどの都市国家を作って地中海貿易を独占し、カルタゴなど多くの植民都市を建設した。

フェニキア文字を使用し、これがギリシアに伝わってアルファベットとなった

アルファベットとは、ギリシア文字の最初の2文字アルファ、ベータに由来する。

●ヘブライ人(Hebrew
遊牧民であったがBC1500年頃パレスティナに定住し、一部はエジプトに移住した。

エジプトのヘブライ人は、BC13世紀にモーゼに率いられてエジプトを脱出し、 パレスティナにイスラエル王国を建国した

ダヴィデと、その子ソロモンの頃に栄えた。

ユダヤ人のこと。

●アッシリア(Assyria:シリアの語源)
 アッシリアBC2000年頃にイラク北部にできた国家で、当初はミタンニ王国に服属していた。

その後独立し、鉄製の武器と戦車や騎兵によって勢力をのばし、サルゴン2(BC722705年)の頃、オリエントの大半を統一した(最初の世界帝国)

最盛期はアッシュールバニパル王の頃で、BC663年にエジプトを征服する。

首都をニネヴェに移し、図書館を建設した。

この遺跡からギルガメッシュ叙事詩が発見された。

 しかし過酷な専制支配をしいたため、BC612年にカルデア・メディア連合軍に滅ばされた。

オリエントはエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4王国に分立した

この中で、新バビロニアが優勢だった。

 リディアは世界で初めて鋳造した貨幣を造り、物流に大きな変化をもたらした。貨幣はギリシャに広まっていった。

●新バビロニア
 新バビロニアのネブカドネザル2世(BC604562年、Nebuchadnezzarの頃が最盛期で、メソポタミア、シリア、パレスティナを支配し、バベルの塔やイシュタル門などを建築した。

また、またユダ王国を2度の遠征で滅ぼし、ユダヤ人の大量移送、バビロン捕囚(Babylonian captivity)を行った。

 新バビロニアは、BC539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされ、バビロン捕囚で連行されたユダヤ人は解放された。

【イシュタル(Ishtar)
アッカドの女神で、ローマのヴィーナスのこと

イシュタルは、アッカドが滅亡しても多くの民族で崇拝された。

ネブカドネザル2世は、バビロンに入る8番目の門としてイシュタルを描いたイシュタル門を建設した。

ベルリンのペルガモン博物館には、この門を復元して展示している。

【ナブッコ】
バビロンの捕囚を題材としたヴェルディ作曲のオペラで、ナブッコとはネブカドネザル2世のことである。

3幕での合唱「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、イタリアでは第2の国歌となっている。
※ http://www.vivonet.co.jp/rekisi/ 引用

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