「飛鳥(アスカ)」ということばとの出会い
「飛鳥(アスカ)」ということばに最初に出会ったのは小学五年生の時である。教室後方の壁に横長の日本史の絵入り年表が貼ってあり、年表の上部に西暦年と時代名称が書かれていた。書かれていた時代名称の最も古いのが飛鳥(アスカ)時代であった。
中学・高校へと進み和歌にも触れ、地名「明日香(アスカ)」の枕詞が「飛ぶ鳥の」であると学んだ。しかし、「飛ぶ鳥の」が「明日香(アスカ)」に付く枕詞であると機械的に覚えるだけでその理由を考えることはなかった。
何故「明日香(アスカ)」に付く枕詞が「飛ぶ鳥の」なのか
「日本語の語源」(角川小辞典)の説明
角川書店の小辞典シリーズ、「日本語の語源」辞典(田井伸之著)は40年ほど前に購入したものである。購入時、青森の「ねぶた祭」についての記述を見たところ次のようなことが書かれていた。
「ねぶた」の語源は「七夕(タナバタ)」であり、「タナバタ」が青森に伝わるまでに、頭の「タ」の文字が抜けて「ナバタ」に変化し、更にそれが変化した「ネブタ」になったとの説明がしてあった。
学生時代北海道旅行の途中青森で下車したとき、偶然ねぶたの準備が青森市内のいたるところでされているところに出くわした。そして、「ネブタ」ということばは何から来たのであろうと思っていたのであるが、同説明を見てなるほどと納得したことを覚えている。
それからしばらくして同辞典で「アスカ」の説明を見たところ、「アスカ」の枕詞「飛ぶ鳥の」は「富たる(トミタル)」が音便変化したものであるとあり、当時明日香地方は豊かな土地であったのがその理由であるといった説明がなされていた。そしてこちらも深く考えることなく、最近までそうなんだと思っていた。
しかし、青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人 青森観光コンベンション協会によれば、ねぶたの祭り自体はタナバタの精霊流しの変形であるとしているが、その名称については以下のように記載している。
「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民俗語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられています。
この説明は上記辞典の説明と違っており、「飛ぶ鳥の」の説明も正しいのかと疑念を持つようになった。それでアスカの枕詞「飛ぶ鳥の」をWeblio古語辞典で調べたところ、次のような記載がされていた。
Weblio古語辞典の説明
天武(てんむ)天皇の時代、赤い鳥を献上した者があったので、明日香にあった宮殿の「浄御原宮(きよみはらのみや)」に「とぶとりの」を冠して、「飛鳥浄御原宮(とぶとりのきよみはらのみや)」と改めたことにより、地名「明日香」の枕詞(まくらことば)となり、さらに「明日香」も「飛鳥」と書かれるようになった。
( Weblio古語辞典 )
上記二つの説、および他の説の検討
地名「アスカ」の枕詞が「飛ぶ鳥の」となった理由についての上記二つの説に説得性があるかどうかを以下のように検討した。
「日本語の語源」の説明
「アスカ」の枕詞「飛ぶ鳥の」は「富たる(トミタル)」が変化したものであるとの説
この説が成立するには、「富たる」ということばが飛鳥時代以前に使われていなければならず、古語辞典を調べてみた。三省堂の古語辞典によれば、
「富(とみ)」:名詞、源氏物語(1008~)の使用例では、「金持ち」「財産」「豊かになること」という意味で使われている。
「たり」:体言に付く断定の助動詞。蜻蛉日記(974~)、平家物語(1219~)、徒然草(1330~)などで使用されている。活用は次に示す。
未然形・・・「たら」
連用形・・・「たり」、または「と」
終止形・・・「たり」
連体形・・・「たる」
已然形・・・「たれ」
命令形・・・「たれ」
以上から、「富みたる」ということばは、名詞の「富(とみ)」+断定の助動詞「たり」の連体形「たる」で成立する。そして、蜻蛉日記や源氏物語が書かれた時代以前から「富」も「たり」ということばも存在し、「富たる」ということばも使われていたと想像できる。しかし、飛鳥時代(6世紀末から7世紀中)に使われていたかどうかは確認できなかった。この点については、Weblio古語辞典を調べても確認できなかった。
Weblio古語辞典の説
天武天皇の時代、赤い鳥を献上した者があったので、明日香にあった宮殿の「浄御原宮」に「とぶとりの」を冠して、「飛鳥浄御原宮」と改めたことにより、地名「明日香」の枕詞(まくらことば)となったとの説
この説は、複数の辞書に掲載されている。
「飛ぶ鳥の」は地名「明日香 (あすか) 」にかかる枕詞。天武天皇の時に、赤い雉の献上を吉兆として朱鳥と改元、明日香にあった大宮を飛鳥 (とぶとり) の浄御原 (きよみはら) の宮と名づけたところから。(goo辞書)
地名「明日香あすか」にかかる枕詞。天武天皇の時に、赤い雉の献上を吉兆として朱鳥と改元、明日香にあった大宮を飛鳥(とぶとり)の浄御原きよみはらの宮と名づけたところからという。
(デジタル大辞典)
この二つの辞典の記述の元となったのが日本書紀の次の記述と思われる。
『日本書紀』天武天皇元年(672年)是歳の条に、「宮室を岡本宮の南に営る。即冬に、遷りて居します。是を飛鳥浄御原宮と謂ふ」とある。また、朱鳥元年7月20日の条に「元を改めて朱鳥(あかみとり)元年と曰ふ。仍(よ)りて宮を名づけて飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)と曰(い)ふ」とある。これを信じれば、「飛鳥浄御原宮」という宮号は朱鳥元年(686年)に名づけられたことになり、672年冬~686年7月までは、この宮の名がなかったことになる。 (奈良・記紀・万葉https://kikimanyo.info/jinshin/map/asuka/ より引用)
以上から、上記2つの説の比較では、日本書紀の記述が元となっているWeblio古語辞典の説の方が信憑性が高いように思われる。
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