2005/10/15

シューベルト 弦楽四重奏曲第13番『ロザムンデ』(第1楽章)

 


シューベルトの弦楽四重奏曲は15曲存在するというのが一般的な常識だが、習作時代の作品が大量に失われていたり、残片だけが残っていたりするので、彼がその生涯に何曲の弦楽四重奏曲を残したのかを正確に特定することは不可能である。 一般的に知られている15の作品は、次の通りとなる。

 

家庭内での演奏を目的とした最初の作品群

ü  弦楽四重奏曲第1番 ハ短調 D.18・・・1812年

ü  弦楽四重奏曲第7番 ニ長調 D.94・・・1812年

ü  ・弦楽四重奏曲第2番 ハ長調 D.32・・・1812年

ü  弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 D.36・・・1813年

ü  弦楽四重奏曲第4番 ハ長調 D.46・・・1813年

ü  弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 D.68・・・1813年

ü  弦楽四重奏曲第6番 ニ長調 D.74・・・1813年

ü  弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 D.87・・・1813年

 

まず初期作品は、家庭内での合奏を楽しむために書かれたものと言われる。シューベルトの父親は、あまり上手くはなかったもののチェロを演奏したし、二人の兄はヴァイオリンをかなり上手に演奏したと伝えられている。これにシューベルトがヴィオラで参加し、家族でカルテット演奏を楽しむのが一家の習慣であった。1812年に書かれたと思われる第1番と第2番は、まさにその様な目的のために書かれた作品である。

 

「四重奏曲多産の年」と言われる、1813年に創作された第3番から第6番(第7番は、旧全集では14年の作品とされていたが、最近の研究では11年から12頃の作品であると確定されている)、さらに第10番の作品群では、サリエリ(映画モーツァルトで、すっかり悪役のイメージが定着してしまったあのサリエリ)に作曲技法を学ぶようになったために、それ以前の作品と比べると格段に充実した内容になっている。

 

それでも目的は、あくまでも家庭内での合奏の楽しみのためだった。そのことは、それほど優秀な演奏家とはいえなかった父親の技量を考慮し、チェロパートが易しく演奏できるように配慮されていることからも明らかである。そのように、これらの作品を「第1期」と分類しても大きな誤りにはならないだろう。第10番は「作品番号1251」として出版されたため、かつては後期の作品と思われていたが、現在では第6番と第8番の間に書かれた初期作品であることが明らかになっている≫

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