2005/10/16

シューベルト 弦楽四重奏曲第13番『ロザムンデ』(第2楽章)


出典http://www.yung.jp/index.php

 

プロの四重奏団による演奏を意識した中期の作品群

ü  弦楽四重奏曲第8番 変ロ長調 D.112・・・1814

ü  弦楽四重奏曲第9番 ト短調 D.173・・・1815

ü  弦楽四重奏曲第11番 ホ長調 D.353・・・1816

1813年にコンヴィクトを去ったシューベルトは、師範学校の予備科に入学したが、そこも1814年には辞めてしまい、それ以後は助教員の生活を始めるようになる。恐らく、この頃からプロの作曲家として生きていくことを考え始めたのではないか。

 

シューベルトと言えば、定職に就かず住む家も持たず、親しい友人たちの支援を得て作曲活動を続けた、典型的なボヘミアン人生の人と言われる。しかし、彼自身は常に一人前の作曲家として世に出ることを常に求め続けていたし、その様な生活はシューベルトにとっては準備段階に過ぎなかった。しかし誤算だったのは、その様な準備段階から抜け出し、いよいよプロとしての第一歩を踏み出しだそうという時に、僅か31才で世を去ってしまったことである。

 

それ故、後世の人がシューベルトの人生を俯瞰した時に、あたかも全人生がボヘミアン的なものに覆われているかのように見えてしまうのは仕方がない。それ故、第7番と第8番は創作時期では大きな違いがないにもかかわらず、その様な意識の有り様が大きく影響していのか、内容的にハッキリ一線を画したものになっているのである。

 

この第8番の第1楽章は、僅か4時間半で創作したとシューベルトはメモの中に記している。いかに早書きのシューベルトといえ、弦楽四重奏曲の一つの楽章をそんな時間で一から書けるはずはないのであって、実はすでに創作してあった三重奏曲を書き直したものだった。だからといって、この作品は安直に書かれたものではなく、演奏に難のあった父への配慮はすっかり姿を消し、完全にプロの演奏家を想定して書かれたものであることは明らかである。

 

そうしてプロを目指し始めたシューベルトは、明らかにハイドンからモーツァルトへと至る古典派の道を学び、それを自らの中で消化しようと努めていった。

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