ジャック・オッフェンバックは、1819年にケルンに生まれる。1833年、チェロの勉強をしにフランスのパリへ。演奏の傍ら作曲活動を続け、1850年にテアトル・フランセの指揮者になる。後の1855年には、自らブフ・パリジャンという劇場を作成。幾つものオペレッタを上演、人気を博す。1880年に没するまで、幾度もの演奏が行われた。
爆発的な人気と反比例するかのように、痛烈な風刺、退廃的な快楽主義は知識人からの批判も多かった。エミール・ゾラは
「オペレッタとは、邪悪な獣のように駆逐されるべき存在」
とまで書いているが、今日では第三帝政期フランスを代表する文化のひとつとして、歴史的評価も作品的評価も高い。
晩年フランスでは一時の人気を失い、オペラ「ホフマン物語」に新生を賭けていた。死後には、各作品は彼自身が監修したウィーン版に源を発するドイツ語上演がフランスに代わって主流を占める(有名なオペレッタ「天国と地獄」序曲は、ウィーン版のためのオリジナルである)
特に戦後は東ベルリンでのフェルゼンシュタイン演出による「青ひげ」や「ホフマン物語」が歴史的な成功を収めた。近年は、ミンコフスキらによるオーセンティックなフランス語上演も急速に盛り返し、もともと上演の盛んだったドイツ圏と併せ活況を呈している。
『ホフマン物語』(Les Contes d'Hoffmann)は、フランスの作曲家ジャック・オッフェンバックの4幕のオペラ(オリジナルは5幕7場)
ドイツ・ロマン派の詩人E.T.A.ホフマンの小説から3つの物語を用いて脚色したジュール・バルビエとミシェル・カレの同名の戯曲に基づいて、ジュール・バルビエ(Jules Barbier)が台本を書いた。
1881年2月10日、パリのオペラ=コミック座で初演。主人公ホフマンが、歌う人形のオランピア、瀕死の歌姫アントーニア、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタと次々に恋に落ちるが何れも破綻するという内容。未完のまま作曲家が死去したこともあって数多くの版があり、謎の多い作品とされている。
通常第4幕で演奏されることが多く、ジュリエッタとの恋の場面で歌われる「ホフマンの舟歌」が有名。
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