2005/10/17

シューベルト 弦楽四重奏曲第13番『ロザムンデ』(第3楽章)

 


※出典http://www.yung.jp/index.php

世間的には、古典的均斉とロマン的表現との融和が自然に成し遂げられた作品群として評価されているが、最晩年の偉大な作品を知る耳からすると何ともいえず窮屈な思いがするのは否定できない。

 

「シューベルトならば、もっと深い情緒を作品の中に盛り込めるはずだ」

 

という贅沢な要求を否定できることができないのである。逆に、ベートーベンによって完成された古典的緊張感と比べてみれば、作品の至る所でシューベルトの「」が溢れ出してしまい、あまりにも「緩み」が目についてしまう。この時期のシューベルトは、良くも悪くも明らかに「歌曲」の人だった。その「歌」を「弦楽四重奏曲」という、最も強固な構造が必要とされる形式の中でいかにして咀嚼していくか、という課題に答え切れていないことは明らかだ。

 

1816年に書かれた第11番は古典派音楽を学び、それを自らの中に取り入れていくという過程の中では一つの到達点を示す優れた作品だといえるものの、それは同時に次のステップへと踏み出すうえでの課題を明らかにした作品もいえる。そのためシューベルトはこのジャンルにおいて、4年という沈黙の時期を迎えることになった。たったの31年しかこの世に生きることを許されなかったシューベルトだから、4年という時間はあまりにも長いものだが、それはこの分野において克服しなければいけない課題が、いかに大きいものだったかを証明する時間の長さとも言える。

 

後期の偉大な作品群への過渡期の作品

・弦楽四重奏曲第12番 ハ短調 D.703 『四重奏断章』(1820年)

この作品を含め、後期の作品としてひとまとまりにしていいのかもしれず、実際に世間的にはそうする方が一般的である。しかし、後期の三大作品との間に再び4年のブランクが存在することを考えると、11番で明らかになった課題を解決するための中間報告という位置づけで、この断章一つでこのジャンルにおけるシューベルトの一つの時期を代表させても問題はない。

 

この作品はわずか1楽章しか残されていないが、ここには我々がよく知る「シューベルトの姿」をはっきり認めることができる。つまり着心地の悪かった「古典派」という衣装を脱ぎ捨てて、自分の「歌」を存分に歌い上げているところである。そして、その歌が散漫なものにならないように、全体の構成は古典派の決まり事に縛られることなく、独自のスタイルを模索していることもハッキリと窺える。その意味では、この作品をもって「シューベルトが真にシューベルトとなった後期の入り口」と考えて過言はない重要な分岐点となる。

 

しかしシューベルトはなぜか、この作品を第2楽章の途中まで書いて放棄してしまった。

 

なぜか?

 

恐らく「このスタイルで4楽章を書き上げるまでに、更に4年の年月を要した」と見るのが妥当なのではないか。

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